伝統工芸が支える暮らし

海を渡り日本にも  ルワンダの貧困女性

 色とりどりの麻糸を通した針を巧みに操り、女性たちが伝統工芸品のかごを編む。空に輝く太陽の光、オレンジ色の大地に開く五弁の花。一針ごとに、美しい幾何学模様が姿を現してくる。
 ルワンダの首都キガリの高台に立つ小さな建物の中、コンクリートの床にござを敷いただけの作業場に、民族衣装に身を包み、かごを編む女性たちがいた。

残る傷痕

 ギプスをはめた右足を引きずり、重たげな2本の鉄のつえにすがり、アグネスタ(49)が姿を見せる。床に座った女性たちが笑顔で迎える。
 彼女らが編むのは、ふた付きのつぼのような形の「アガセチェ」と、皿形の「プラトー」。古くからこの国の女性が作ってきたかごだ。母は娘に編み方を伝え、娘はアガセチェを持って嫁ぐ。
 イシンギという植物を芯に、サイザル麻の繊維を編み込む。しっかりと編まれたかごは、思いのほか重く、硬い。
 「結構、力のいる作業で体が痛くなるのよ」とアグネスタ。不自由な右足を椅子に乗せ、器用な手つきでプラトーを編んでゆく。
 ルワンダの農村に生まれたアグネスタの苦難は、3歳の時、ポリオで右足が不自由になったことから始まる。「学校にも満足に行けず、小学校の制服の縫製をして得るわずかな金だけが、自分の人生で得た収入だった」
 結婚してつかんだはずの安定した生活。だが、間もなく夫に先立たれ、娘と2人、食うや食わずの生活が続く。1994年の内戦で、娘の学費の頼りだった米国やデンマークの慈善家からの援助も途絶えた。
 「内戦を避けて逃げ込んだ避難所で当時8歳だった娘が刃物で襲われ、殺されかけた。避難民の中に、娘が敵対する部族の血を引いていることを知っている人がいたのです」—。プラトーを編む手を休め、過去の苦難を静かな口調で振り返るアグネスタ。娘の体には今でも刀傷が残り、心の傷も癒えきってはいない。

 内戦終結後も続く貧しい暮らし。キガリの路上でアグネスタは物乞いをし、娘は春を売って、わずかな食費を得た。アグネスタの2人の孫は、自分の父が誰なのかを知らない。

日本で人気

 そんな暮らしに差し込んだ光が、アガセチェとプラトーだった。内戦後、困窮する女性に生活の手段を与え、途絶えた伝統工芸の再生を目指す「平和のバスケット」と呼ばれるプロジェクトの参加者に選ばれた。
 アグネスタたちが何日もかけて編み上げたかごは今、海を渡り、日本のデパートやインテリアショップなどに並ぶ。
 輸入を手掛けるのは静岡市でインテリアショップを営む小沢里恵(おざわ・りえ)(39)。「アガセチェは、ルワンダの女性が大切なものをいれる幸せのかごです。2008年の5月、アフリカ物産展でかごを目にした瞬間、これを日本で売りたいと思った。慈善事業でなく、ビジネスでルワンダの女性の幸せづくりに貢献したい」と語る。
 インターネットと電子メールで小沢とつながったキガリ在住の日本人女性、三戸優里(みと・ゆり)(38)が、現地の工芸組合や役所を走り回り、日本貿易振興機構の支援も得て、バスケットビジネスの立ち上げにこぎ着けた。装飾品としての人気は高い。
 三戸は「アグネスタのかごは、完成度もデザインもひと味違う。あっという間に稼ぎ頭になったのは当然ね」と笑う。
 アグネスタは言う。「日本から来る注文のおかげで、バスケットづくりは、私の定職になった。生まれて初めて、自分はほかの女性と同じだという誇りを持つことができた」と。
 一つの国に暮らす人々が殺し合い、約80万人の命が失われた内戦と大虐殺から17年余。国際援助にも支えられ、国の復興は進むが、人々の心と体に残る傷痕は深い。
 だからこそアグネスタは不自由な足を引きずって、毎日のように作業場に通う。「みんなで話をし、冗談を言い合う中で、少しずつ昔のことを忘れてゆくことができる。ここに集まることは、私たちにとって本当に大切なことなの」

悲劇乗り越え進む復興

ITやエコツーリズムも

 アフリカ中部の国、ルワンダは面積が2万6300平方キロ余の小国で、人口は約1千万人。1994年4月に始まった内戦は当時の大統領を乗せた航空機が首都キガリの上空で撃墜されたのがきっかけで、フツ人を主体とする政府軍と民兵が、ツチ人やフツ人の穏健派など約80万人を残忍な方法で殺害する大虐殺に発展した。
 2000年に就任したツチ人のカガメ大統領の下、国情は安定し、経済復興が急速に進む。法律で死刑が廃止され、虐殺に関与した受刑者の釈放や責任者の恩赦など和解を促す政策も取られる。
 世界銀行の担当者は「内戦終結以来、農業の復興に加え、情報技術(IT)など知的集約型の産業育成や豊かな自然環境をいかしたエコツーリズムの推進など、ユニークな発展戦略が実を結びつつある」と評価する。
 内戦で荒廃した首都、キガリは今では「アフリカで最も安全できれいな都市」と言われるまでになった。
 世銀によると、1994年には152ドル(約1万2400円)だった1人当たり国内総生産(GDP)は2008年には465ドル(約3万8千円)に増え、貧困人口も減っている。
 ルワンダのコーヒーが日本にも輸出されるようになり、絶滅が懸念されるマウンテンゴリラ目当てにルワンダを訪れる日本人観光客も増えるなど、日本との結び付きも強まりつつある。(文・写真 井田徹治、文中敬称略)=2011年05月04日

「地球村」の人びとは今、何を喜び、なにゆえに悲しみ、日々の暮らしを送っているか。「@LOVE」では世界各地のラブストーリーを紹介。このほか「@コリア」「@チャイナ」「@アメリカ」「@その他地域」と五週を一クールとするこの企画では、地域ごとに主人公やテーマを立て、「今を生きる」人間模様を描く。

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一目見た瞬間にルワンダのバスケットに魅せられ、輸入のための会社も設立した小沢は「ひとりでも多くの人にバスケットの美しさを知ってもらいたい」と笑う=静岡市

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