異国に眠る歴史を発掘

教壇で母国の暗部も語る  日米の「懸け橋」に

 解剖した人体をいくつも描いた古めかしいスケッチ。肺が青く塗られ、肝臓は赤。大腿(だいたい)部に青の斑点と赤の印があり、それぞれ「224 4日」「190 10日」などと記されている。
 太平洋戦争中、細菌兵器開発を進めた旧関東軍防疫給水部(731部隊)の関係者が終戦直後、米軍へ提出した人体実験データだ。3千人とも言われる中国、朝鮮、ロシア人捕虜に対し、ペスト菌や鼻疽(びそ)菌などを植え付け、時間の経過とともに感染が拡大していく様子を生々しく伝えている。「224」や「190」は「マルタ」と呼ばれた捕虜に付けられた番号。
 日本の戦争犯罪を記録した第一級の史料が保存されているのは、米首都ワシントンにある連邦議会図書館だ。
 「大変貴重な史料がある」。日系米国人で同図書館特別調査官のスティーン智子(50)が声を掛けてくれたのは、2005年の夏だった。
 米占領軍を通じ接収された日本関連史料は、これだけでなかった。旧日本軍の原爆開発に携わった科学者のメモや、「天皇機関説」を唱えた学者に変説を迫った旧文部省思想局の秘密文書…。

ほこりかぶる文書

 智子は日米安保条約改定で国内が騒然となる1960年、長崎に生を受けた。小学生の頃から科学に興味を抱き、中学では天文地学部に入部。母の芦沢令子(71)には、金づち片手に岩石採りに夢中になる娘の姿が「男の子のよう」に映った。
 智子はその後、大学で薬学を学び薬剤師に。そして91年には米名門コーネル大に留学し、科学技術研究の博士号を取った。この間、オランダ系米国人の最初の夫との間に娘が生まれ、博士号取得後はハーバード大やジョージ・ワシントン大で研究・教育活動を続けた。
 転機が訪れたのは98年だった。父親にがんが見つかり急逝、同じ学者の夫とは離婚した。学齢期を迎える娘を抱え苦悩もしたが、移り住んだ異国の地にとどまり続けた。
 そんな中、友人からこんな情報をもたらされた。「議会図書館では、科学技術に関する日本の文書が大量にほこりをかぶって眠っている。日本語のできる科学の専門家が求められている」。

 2001年、智子は議会図書館に就職。地下の書庫に足を踏み入れると、連合国軍総司令部(GHQ)が接収した無数の歴史資料が、ほこりだらけで放置されていた。「もともと歴史資料を読むのが好きだった」。智子は以降、母国の史料を自ら発掘・分析し、保存を担当部局に依頼する“歴史の守護者”となった。

科学に国境なし

 母の令子は5歳の時、爆心地から約2キロの長崎市内の自宅で被爆した。
 「縁側にいたら、ピンポン球大の火花が飛んできた。母から『すぐ押し入れに』と言われて入ったら、『ゴォーッ』というものすごい音がした」
 爆心地と自宅が山を隔てる位置関係にあり、大きなやけどこそしなかった。だが爆心地にその後入ったのが災いし、小学校時代は高熱や鼻血、歯茎からの出血に苦しめられた。むごい状態で逃げてきた被爆者の姿が幼心に刻まれ、トラウマ(心的外傷)も覚えた。
 令子は特段、智子に被爆体験を話すことはなかった。それでも米国の教壇に立ち、原爆投下についても教え始めた智子の求めで、自身の手記を手渡したことがある。
 2011年2月9日、東部メリーランド州の都市ボルティモア。17世紀の建造物が残るジョンズ・ホプキンス大のキャンパスに智子の姿があった。
 「『科学政策』って何のこと。外交の定義を知っている? じゃあ『科学外交』とは何ですか」。約60人の大学院生らに、智子が次々と質問をぶつける。講義「日本の科学政策・外交」は、定員を上回る人気授業だ。
 授業では原爆投下のほか、731部隊はじめ母国の戦争の暗部にも触れる予定だ。「科学に国境はない」が持論の智子は日本と米国、アジアの研究者が参加する科学政策をめぐる研究会の運営にも携わっている。
 議会図書館スタッフと大学教授の二つの帽子をかぶる被爆2世。科学という自身のテーマを媒介に米国と日本、さらにアジアとの「懸け橋」になれればいいと願っている。

大量の文書、今も米国に

次代への継承が責務

 米連邦議会が管理する連邦議会図書館には、終戦後に連合国軍総司令部(GHQ)が日本側から接収した大量の歴史資料が今も残っている。中には数年前まで地下の書庫でほこりをかぶったまま放置されていた重要文書もあり、日米両政府は必要な措置を講じることで、次代に史料を継承していく責務がある。
 日本の専門家によると、終戦後に米国が戦犯調査などの目的で接収した文書の総数は40万点超。文書は旧日本軍や政府、南満州鉄道(満鉄)、朝鮮総督府などから接収された。これらの文書は敵国だった日本の軍事政策や統治体制、植民地政策を知る上で有用で、GHQの対日占領政策の「糧」になったとみられる。
 1952年にサンフランシスコ講和条約が発効すると、米側は日本への文書返還を開始。日本の国会図書館は米公文書館が保管する日本関係文書をマイクロフィルムにする作業も進めた。それでもマンパワー不足や予算の枯渇を背景に、未整理文書が大量に残された。
 2006年には、旧日本海軍から原爆開発を命じられた旧京都帝大に在籍した科学者、清水栄氏の直筆メモをはじめ、1万点近い史料の未整理が判明。これを機に保存活動が進み、国会図書館も一部史料のデジタル化事業に着手した。ただ科学関係史料のデジタル化はまだで、今後の事業進展が望まれる。(文 太田昌克、文中敬称略)=2011年03月02日 

「地球村」の人びとは今、何を喜び、なにゆえに悲しみ、日々の暮らしを送っているか。「@LOVE」では世界各地のラブストーリーを紹介。このほか「@コリア」「@チャイナ」「@アメリカ」「@その他地域」と五週を一クールとするこの企画では、地域ごとに主人公やテーマを立て、「今を生きる」人間模様を描く。

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長崎で生まれ育った幼い頃の智子(右)と母の令子。5歳の時に被爆した令子は、智子が渡米するまで被爆体験を特に語ることはなかった(提供写真)

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