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 「語るのが好き」   声を張り上げ成り切る 

 20歳の女性浪曲師    期待背に一本立ち 

名披露目興行で「子別れ峠」を熱演する国本はる乃。「緊張して泣きそう」と話していたが、三味線が鳴り始めると、堂々と舞台を務めた=東京・浅草の木馬亭(撮影・堀誠)

名披露目興行で「子別れ峠」を熱演する国本はる乃。「緊張して泣きそう」と話していたが、三味線が鳴り始めると、堂々と舞台を務めた=東京・浅草の木馬亭(撮影・堀誠)

 「見上げる空に果てしなく~、雲が飛ぶ飛ぶ~、山の村…」。晴れ着姿の浪曲師、国本はる乃(くにもと・はるの)(20)が、声を限りにうなると、満員の客席がどよめいた。「すごい!」「声が通るねえ」。期待の新人を励ますように、拍手が湧き起こった。
 東京・浅草の木馬亭で9月25日に開かれた「名披露目興行」。前座のはる乃が一本立ちする舞台だ。語ったのは「子別れ峠」。生活苦から生まれたばかりの娘を山村に置き去りにした夫婦が20年ぶりに娘に出会うが、親と名乗れぬまま立ち去る話だ。少女の面影を残すはる乃の熱演に、涙をぬぐう観客の姿もあった。


 ▽半年で初舞台

 本名は木村はる乃。9歳の時、ベテラン浪曲師国本晴美(くにもと・はるみ)(78)に入門した。父の悟(さとる)(61)は、江戸文字職人をしながら鶯春亭(おうしゅんてい)梅八の芸名を持つアマチュア落語家。娘に三味線を習わせようと、旧知の晴美の元に連れて行ったのだ。
 「手が小さくて、まだ三味線を持てないから、お歌から始めましょう」。師匠の晴美はこう言って、孫のような女の子に初めから浪曲を教えた。
 「三味線を持てたとしても、師匠は浪曲をやらせたと思う。私を浪曲師にしたいと思っていたようだから」とはる乃。後継者不足の浪曲界は、新人を渇望していた。
 毎週末、父や母が運転する車で茨城県稲敷市の自宅から10分ほどの師匠宅に通った。稽古は午前10時から2時間。おなかをぐっと押されながら「大きな声を出して」と指導を受けた。「子どもだったので嫌々、稽古に行っていた。汗びっしょりかいて、終わると、おなかがすく。最初は腹筋が痛くなったこともある」
 入門から半年たった2005年10月、覚えたての話「秋色桜(しゅうしきざくら)」を成田山新勝寺の奉納演芸会で披露する。「緊張で頭が真っ白になった」(はる乃)という初舞台。時々、せりふを忘れて「何だっけ」と言うしぐさがかわいらしく、集まったお年寄りに大受けした。

        名披露目興行を前に、師匠の国本晴美(右)の自宅で稽古をつけてもらう国本はる乃。部屋には息子の国本武春のポスターが貼られている。三味線は浪曲師の澤順子=千葉県成田市(撮影・藤井保政)

名披露目興行を前に、師匠の国本晴美(右)の自宅で稽古をつけてもらう国本はる乃。部屋には息子の国本武春のポスターが貼られている。三味線は浪曲師の澤順子=千葉県成田市(撮影・藤井保政)

 ▽録音から学ぶ

 はる乃は13年12月から、浪曲の定席、木馬亭に前座で出演するようになる。浪曲を好きになれずにいたが、先輩が師匠や自身の舞台を録音して聴くのを見て、まねたことが転機になった。
 「自分の舞台を聴いたら、こんなに下手だったのかと気付いた」とはる乃は言う。「地元の人たちからは、いつも褒められていた。『私はできるんだ』と思っていたので、がっくりしてしまって…」
 師匠の口演を収録したカセットテープの音をボイスレコーダーに移し、自宅と木馬亭との行き帰りに聴いた。「音だけでも、こんなにすごい表現ができるのか」と心が震えた。過去の名手たちの録音も聴き、いろんな節回しを覚えた。木馬亭で、その節を語ると、先輩たちから「良くなってきたねえ」と言われた。
 「浪曲が面白いと思うようになったのは、その頃から。舞台で語るのが本当に好きになった」とはる乃は目を輝かせる。

 ▽心の底から声

 広沢虎造(ひろさわ・とらぞう)の清水次郎長伝(しみずのじろちょうでん)や玉川勝太郎(たまがわ・かつたろう)の天保水滸伝(てんぽうすいこでん)などが一世を風靡(ふうび)し、戦前から1950年代まで演芸の王様と評された浪曲。だが、テレビの普及などで人気に陰りが出て、衰退していった。
 そんな逆風の中、孤軍奮闘して浪曲界をけん引してきたのが、晴美の息子、国本武春(くにもと・たけはる)だった。NHKの子ども番組出演で注目された武春は、三味線の弾き語りでロックを演奏し、ミュージカルの舞台にも立った。「うなるカリスマ!」と呼ばれ、浪曲ファン以外にも人気を広げたが、昨年12月、脳出血で倒れ急逝した。55歳だった。ここ数年、新人の入門が相次ぎ、中堅も育って人気復活の兆しが見え始めた矢先の大黒柱の死。浪曲界が受けた衝撃は計り知れなかった。
 「武春が亡くなって1カ月ぐらいは、泣いて、泣いて…。ついには転んで腕を折ってしまった」と晴美は語る。その悲しみが、弟子はる乃への思いにつながる。「はるちゃんは、息子と干支(えと)が同じで、ねずみ年。武春みたいに売れて出世してくれることを願っている」
 名披露目興行の口上で、日本浪曲協会会長の富士路子(ふじ・みちこ)は、白無垢(むく)姿で頭を下げるはる乃を見ながら、「せがれが、かわいいお嫁さんをもらったような気分。名披露目できることは本当にありがたく、浪曲協会にとってもおめでたい限り」と、期待の高さをにじませた。
 晴美が、日頃から、はる乃に厳しく言っているのが「登場人物に成り切れ」ということだ。
 「子別れ峠」の最終場面。峠を去った旅の夫婦が実の親だと知った娘は、「お父さ~ん」「お母さ~ん」と心の底から声を張り上げる。
 舞台のはる乃の姿が、同じ20歳という設定の娘の姿と重なって見えた。師匠の教え通り、登場人物に成り切った瞬間だった。(敬称略、文・藤原聡、写真・堀誠、藤井保政)

◎人気復活の鍵握る逸材 

 「喉を痛めたこと、ないんです」。国本はる乃(くにもと・はるの)が師匠宅で稽古するのを取材した時、こう話したので驚いた。窓ガラスが震えるような、大きいうなり声を聴いた直後だったからだ。
 弱冠20歳ながら芸歴は11年以上になる。小さい頃から鍛錬を続け、この話芸に体がなじんでいるのだと実感した。
 先輩の女性浪曲師、玉川奈々福(たまがわ・ななふく)は「まさに伸び盛り。今は浪曲の魅力に開眼し、夢中になっているのだと思う」と話す。
 奈々福や春野恵子(はるの・けいこ)らは、さまざまな企画公演を開催。新作や英語浪曲にも取り組み、新たなファン開拓に奮闘している。
 はる乃は今、古典の演目を増やしているが、いずれ現代の聴衆に訴える企画公演や新作にも挑戦するだろう。浪曲の人気復活の鍵を握る逸材の成長に期待したい。(敬称略)