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【特別寄稿】独裁者に勝った喜劇王 平和を扇動、未完の夢  日本チャップリン協会会長・大野裕之 

スイス・ブベイにある「チャップリンの世界」博物館で、映画「独裁者」のヒロインになりきって記念撮影する来場者(撮影・澤田博之、共同)スイス・ブベイにある「チャップリンの世界」博物館で、映画「独裁者」のヒロインになりきって記念撮影する来場者(撮影・澤田博之、共同)

 人間はなぜ笑うのか。動乱の渦中にも、喜びを分かち合い、悲しみを乗り越える命のさざめきがある。笑いが織りなす人間模様を世界に追う共同通信の2017年国際企画「笑い 命さざめく」を1年間にわたり掲載する。日本チャップリン協会会長の大野裕之氏に特別に寄稿してもらった。 

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  1889年4月16日、ロンドンでチャールズ・チャップリンが生まれた。同じ週の20日、オーストリアのブラウナウでアドルフ・ヒトラーが生まれた。二人は1914年の同時期、お互い知らずに同じチョビひげを生やし始める。偶然の一致が、20世紀で最も愛された喜劇王と、最も憎まれた独裁者との対決を予言していた。

 二人の誕生から51年たった40年6月23日の早朝、ヒトラーはパリに入城した。そのニュースが全世界を恐怖に陥れた翌日、チャップリンは「独裁者」のラスト・シーン―民主主義を訴える演説―を撮影した。笑いという武器しか持たない、あの小さな放浪者は、いかにして独裁と闘ったのだろうか?

▽ヒューマニズム

 チャップリンの両親はともに英国ミュージック・ホールの芸人だった。病気で女優業を諦めた母は、裁縫で家計を支えた。時折、昔の衣装を引っ張り出し、歌や寸劇を屋根裏部屋で演じて、子供たちを楽しませた。窓から道行く人を眺め、その様子を面白おかしく解説して笑わせ、幼いチャップリンは空腹を忘れた。

 彼が生まれたロンドンのケニントンは当時、生まれた子供の3分の1が、5歳になるまでに命を落とすほどの貧民街だった。母から授かった「笑い」のおかげでチャップリンは生き延びたのだ。

 チャップリンも、舞台で声が出なくなった母に代わり、5歳で初舞台を踏んだ。大衆娯楽のミュージック・ホールは、大英帝国のイデオロギー装置とも言え、愛国的な歌、人種差別的なギャグが好まれた。だが、彼の映画にその要素はない。

 秘密の一端は、残された膨大なNGフィルムに見いだせる。単純なシーンでも数十回撮り直した完璧主義者のチャップリン。最初は面白いギャグを2分ぐらい続けていても、最後には10秒に凝縮される。ストーリーやテーマに必要なギャグだけを残すストイックな姿勢。その過程で、性的なモチーフや人種差別的なギャグは慎重に除かれた。

 チャップリンは「笑い」とヒューマニズムを、意識して融合させたわけではない。ただ「世界中の人を心から笑わせたい」と思っただけだ。その笑いは、撮り直しを重ねて体得されたがゆえに、残酷なまでの強度と冷徹な社会批評性を持ち、突き詰めると強いヒューマニズムに至る。

 メディアという戦場で、イメージを巧みに使ってのし上がったヒトラーにとって、同じチョビひげのチャップリン―メディアの覇者にして世界中に愛される放浪紳士―は大いなる敵だった。ヒトラーのチャップリン攻撃が始まったのは1926年のこと。「黄金狂時代」のドイツ初上映で推薦文を書いた3人の文化人が、ユダヤ人だったというのが理由だ。ユダヤ人を攻撃し、ユダヤ人が褒めたものを攻撃し、果てには少しでも民主的な発言をすれば、ユダヤ人でなくてもユダヤ人だと攻撃した。

▽想像力

 ヒトラーは33年に政権を握ると、チャップリンを徹底的に排除する政策を矢継ぎ早に繰り出した。「笑い」が独裁政治を脅かす一番の武器と知っていたからだ。映画の上映はもちろん、ポストカードの販売も禁止、さらにマスコミでチャップリンを褒めてはいけないという命令まで出した。一方で「笑いを愛する気さくな総統」を演出するために、「ヒトラーを茶化すコンテスト」を開催した。独裁下では、笑いさえ統制される。

 喜劇王が37年秋頃に「ヒトラーを笑いものに」と「独裁者」製作に乗り出すと、ドイツだけでなく当時同盟国だった母国の英国、米国からも脅迫じみた圧力がかかった。極秘で進めた製作の資料の中に、完成版では使われなかった人間飛行機のスケッチを見つけた。後の日本軍の特攻隊を予言するかのようだ。「笑い」の想像力は、まだ見ぬ悲劇さえ告発していた。

 「独裁者」といえば、独裁者に間違えられたユダヤ人の理髪師が、群衆に平和と民主主義を訴えるラストの演説が有名だ。当初チャップリンは、理髪師の短いメッセージを聞いて、敵味方が手を取って踊るスペクタクルを考えていた。だが理髪師が群衆だけでなく、作品を見る者にも直接訴えるような結末を選んだ。映画の枠組みを超えて発せられるメッセージは、常に新しい観客を巻き込み続けている。

 この演説が世界に響き渡った頃、希代の演説家ヒトラーの演説は激減していった。多い時は1日に3回もしていたが、41年を通じ大演説はわずか7回。笑いものにされたことで、強力な武器だった「イメージ」を失ってしまったのだ。メディア上で両者の闘いは、リアルな戦場よりずっと先に始まり、ずっと先に終わっていた。

▽魂の翼

 小さな放浪者には「笑い」という武器しかなかったのだろうか? いや、「笑い」こそが、独裁と闘う武器だったのだ。

スイスの景勝地レマン湖沿いの遊歩道の一角に立つチャップリン像。米国から追放されたチャップリンは家族と移住し、晩年をこの地で過ごした(撮影・澤田博之、共同)

 チャップリンとヒトラーは、メディアという戦場でイメージを武器に闘ったパイオニアだった。先の米国大統領選を見ても、メディア戦争はますます激しくなるばかりだ。誰もが世界に発信できるインターネットも、いつの間にか検索エンジンからSNSまで巨大企業の寡占状態となった。

 ナチスがユダヤ人でもない人をユダヤ人として攻撃した手法は、現代日本のネット上にも見られる。弱者や外国人をたたきのめす笑いがあふれている。現代の喜劇人は、魂に訴える笑いを生み出せているだろうか?

 チャップリンは「平和主義者(pacifist)」とは名乗らず、「平和の扇動者(peacemonger)」と自称した。戦争をあおる「戦争屋(warmonger)」をもじった造語だ。現代に置き換えれば、差別や排外主義をあおるネット右翼に対抗して、平和をあおって炎上させようぜ、ということなのだ。70年前の発言にして、なんと斬新な感覚だろう。2017年は「憎悪」ではなく「笑い」で世界を「炎上」させたい。

 チャップリンが最後に作ろうとした「フリーク」という未完の作品の脚本が残る。羽の生えた少女が、新興宗教の教祖に祭り上げられ、殺人事件に巻き込まれる。国家に保護されるが、お仕着せの自由に満足できない。最後に本当の自由を求め飛び上がるものの、力尽きて海に落ちてしまう。

 「人間の魂には翼が与えられていた」という「独裁者」の演説の通り、最後まで羽ばたくことを夢見ていたチャップリン。その夢は未完のまま、現代に生きる私たちに託されている。
 

大野裕之氏の略歴   

大野裕之氏(撮影・萩原達也)
 おおの・ひろゆき 日本チャップリン協会会長。脚本家・演出家。劇団とっても便利代表。1974年まれ。大阪府出身。製作・脚本を手がけた映画「太泰ライムライト」がカナダのファンタジア国際映画祭でシュバル・ノワール賞。著書に「チャップリンとヒトラー メディアとイメージの世界大戦」(サントリー学芸賞)など。