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大星由良之助

大星由良之助

「大星由良之助」片岡仁左衛門の大星由良之助(松竹提供)

「大星由良之助」片岡仁左衛門の大星由良之助(松竹提供)

 「忠臣蔵」の主人公といえばご存じ大石内蔵助。主君、浅野内匠頭を切腹に追い込んだ敵の吉良上野介を、大石を中心とした赤穂浪士が討ち取るまでの苦難に満ちた物語で、映画やテレビの時代劇で何度も取り上げられています。もちろん、歌舞伎でも「忠臣蔵」と言えば大入り間違いなしの人気演目。私たちが知っている「忠臣蔵」のもととなった歌舞伎が「仮名手本忠臣蔵」というお芝居です。
 このお芝居の主人公は大星由良之助(おおぼし・ゆらのすけ)。「あれっ、大石じゃないの?」と思われるかもしれません。由良之助の主君は、浅野内匠頭ではなくて塩冶判官(えんやはんがん)、敵は吉良ではなくて高師直(こうのもろなお)と言います。大星以外は南北朝時代に実在した歴史上の人物。なぜこんな名前になったのでしょうか? それは、この芝居を初演したのが、徳川幕府の治める江戸時代だったからです。
 赤穂浪士の討ち入り事件は、今から300年ほど前の元禄時代、5代将軍綱吉が治めていた江戸で起きました。江戸城松の廊下で内匠頭が吉良に斬りつけた刃傷事件の後始末を、幕府は内匠頭の切腹とお家断絶、吉良側にはおとがめなしという一方的な裁きで済ませ、批判を招きました。事件をモデルにした芝居が翌年に上演されましたが、3日間で上演禁止となったと言われています。
 この当時、幕府など武家社会のできごとを、そのまま実名を使って芝居にすることはできませんでした。だから時代を移し、名前を変え、でも、見る人にはその事件だと分かるようにして上演したのです。「仮名手本忠臣蔵」は、討ち入り事件の46年後に人形浄瑠璃として初演され、すぐ歌舞伎でも上演されました。それが忠臣蔵芝居の決定版として今日に伝わったのです。
 歴史上の人物の名前を変えることは、江戸時代にはよく行われていました。たとえば織田信長は「小田春永」、羽柴(豊臣)秀吉は「真柴久吉」といった具合です。徳川の時代が終わり、明治の世になると、新政府は芝居関係者に「うその名前ではなくて、正しい歴史に基づく芝居を上演せよ」と指導したのですが、こうした古典歌舞伎では古い名前が残ってしまったのです。
 この「仮名手本忠臣蔵」は、十一段構成の長い芝居ですが、大星由良之助が活躍する後半のハイライトが七段目「祇園一力茶屋」の場です。由良之助はあだ討ちを恐れる敵、師直の目を欺くために、京都・祇園町の茶屋「一力」に遊んでいます。幕開きは、酒に酔った由良之助が、仲居やたいこ持ちを相手に遊びほうける姿を見せます。
 この場の主な登場人物は、遊女のおかると、その兄の足軽、寺岡平右衛門。おかるは夫の早野勘平が塩冶の家来に戻れるための支度金を作るため、身を売り、祇園に勤めに出ていました。勘平はこの前段で、誤解からあだ討ちの一行に加わることがかなわぬまま、切腹して果ててしまいますが、おかるはそのことを知りません。ふとしたはずみで由良之助への密書を見てしまったおかるは、あだ討ちの計画を知ってしまいます。兄の平右衛門は、由良之助の秘密を知った妹を殺して、一行に加えてもらおうとします。
 さんざめく祗園の華やぎの中に、兄妹の悲しいドラマが織り込まれ、芝居は佳境に入っていきます。由良之助はこの2人をどうさばくのか。あだ討ちを深く心に秘め、酒に酔ったさまを見せる由良之助には、大人の男の持つ貫禄と、遊里に遊ぶ色気が求められ、座頭役者の力量が問われます。
 幕切れ、おかるを許し、平右衛門に一行に加わってよいと告げた由良之助は、師直に内通しようとした九太夫を捕まえてこんなせりふを吐きます。「四十余人の者どもは、親にわかれ子に離れ、一生連れ添う女房を君傾城(けいせい)の勤めをさするも、亡君のあだを報じたさ…」。
 「仮名手本忠臣蔵」は古い芝居ですが、敵を討つ武士たちばかりでなく、大義の犠牲となって泣く女性や老人など、名もなき人々の悲しみを、共感をもって描いており、そこがこの芝居の大きな魅力になっています。昭和の初めに劇作家、真山青果が書いた「元禄忠臣蔵」は、より実録風の新歌舞伎ですが、これもしばしば上演されています。時代を超えた「忠臣蔵」の二つの名作を見比べてみるのも面白いでしょう。
 京都・祇園の花見小路の角に、紅殻(べんがら)格子の塀に囲まれた料亭「一力」があります。毎年3月20日の大石の命日には、「大石忌」の法要がここで営まれます。「一力」の塀を見ると、ここに遊んだ在りし日の由良之助(内蔵助)の姿に思いをはせずにはいられません。

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記者プロフィール

  • 石山俊彦
  • [いしやま・としひこ]

1955年長野県松本市生まれ。東大文学部卒。1979年共同通信入社。岡山、神戸支局、大阪支社社会部を経て、文化部記者として20年近く歌舞伎を中心とした舞台芸術全般を取材。文化部芸能、読書、生活デスク、高知支局長などを経て現在、共同通信用語委員長兼編集局編集委員。国立劇場専門委員。著書に「楽屋のれん」「歌舞伎座五代」など。雑誌「演劇界」、歌舞伎座プログラムなどに執筆多数。