日本の実力 第8部 草の根運動

第3回 紛争地で平和祈る僧侶

 「平和を希求する小さな力の集結が、世界を変える」。出家から40年、寺沢潤世(てらさわ・じゅんせい)さん(59)の信念は、揺らいでいない。

 欧州の反核運動から湾岸戦争、チェチェン紛争―。動乱の最前線で非暴力を訴え、米国やロシアといった大国に異を唱えてきた僧侶は今、中央アジアの小国、 キルギス共和国から世界平和を見詰めている。

平和の響き

 4千メートル級の頂近くに氷河を抱く山々を見上げる小さな村まで、キルギスの首都ビシケクから車で約1時間。築半世紀以上の別荘を改装した道場で、ロシ アやウクライナなどから集まった寺沢さんの弟子ら約10人が、修行の日々を送っていた。

 ガスと電気は通じているもののトイレは庭の片隅に穴を掘り、板で囲っただけで、食事は托鉢(たくはつ)や自給自足が主の質素な生活だ。移動の費

寺沢潤世さんの平和活動の足跡

非暴力が「世界変える」 最前線に響く平和の太鼓

キルギスの首都ビシケク郊外の道場で、ロシアやウクライナから集まった弟子たちと平和の祈りをささげる寺沢潤世さん(手前)=8月(共同)

キルギスの首都ビシケク郊外の道場の庭で、弟子のロシア人女性たちと談笑する寺沢潤世さん=8月(共同)

用なども支援者らからの寄付などが頼りだが、ここを拠点に寺沢さんは、キルギスの民族対立問題の解決などに取り組んでいる。

 平和活動はシンプルだ。うちわ太鼓と呼ばれる直径50センチほどの太鼓を鳴らし、お経を唱え、紛争地域などを歩く。「太鼓の単純な響きが平和の呼び声となり、戦争に苦しむ人、戦争を起こす人の心に入り込む」と寺沢さんは言う。

 その力が発揮されたのが、寺沢さんがモスクワを拠点に活動をしていた1990年代、ロシア南部チェチェン共和国出身の青年と知り合ったのをきっかけに取り組んだチェチェン問題だった。

母たちと大行進

 91年のソ連崩壊直前、一方的に独立を宣言した同共和国に対し、ロシアは94年12月、軍事侵攻、イスラム教徒主体の独立派武装勢力の制圧に着手した。寺沢さんは「チェチェン人をすべて犯罪者扱いし、うそで固めた醜い侵攻だった」と振り返る。

 戦闘では大勢のチェチェン市民が巻き添えになる一方で、ロシア兵の多くも貧しい農村の子弟で、両方が戦争の犠牲者であることを知り、攻撃停止を求める平和行進を決意。95年3月、息子らの安否を気遣う家族による「ロシア兵士母親の会」に呼び掛け、仲間の僧侶ら約40人とモスクワから約3千キロ離れたチェチェンを目指し出発した。

 太鼓をたたきながらの徒歩行進とバス移動を重ね、約2週間後にチェチェン境界に到達。このころには大勢の母親やチェチェン人も合流し、千人を超える大行進となった。途中、ロシア側からは妨害

工作も受けたが、チェチェン側は「母親たちが来る間は戦闘を仕掛けない」と約束、つかの間の平和をもたらした。

 だがチェチェン独立派の一部はその後、130人が死亡したモスクワ劇場占拠事件(2002年10月)など数々のテロを引き起こし、情勢は泥沼化。寺沢さんが以前取り組んだ中東問題でも、91年に湾岸危機で米国のイラク攻撃を阻止しようと、平和活動家グループの一員としてイラクに乗り込んだが、開戦は回避できなかった。

 大国のエゴの前で個人の平和努力は無力ではないか―。こう問い掛けると、寺沢さんはきっぱりと反論した。「冷戦を非暴力で解決しようという市民の思いがベルリンの壁を壊し、ソ連を無血で消滅させた歴史がある」

燃やした指

 石川県出身の寺沢さんは立教大学時代、口先だけで平和を唱える学生運動に失望。19歳で出家した後、日本山妙法寺の僧侶として70~75年のインド修行を経て英国に渡り、80年代は欧州の反核運動や平和運動に参加した。

 「小さな力が積み重なって、想像もつかない力を発揮する」。冷戦終結を振り返りながら、語気を強め振り上げた左手の人さし指は、第2関節から先が無かった。

 83年ブリュッセルから東西分断の象徴だった東ベルリン側の壁を目指し、平和祈願の行脚を始める前に油で燃やしたからだ。「壁までの旅成就を、仏に願う儀式だった」。寺沢さんはこともなげに語った。(半沢隆実共同通信記者)

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