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「祈りよ力に」(8) 「レバノン」

真相は闇の奥に 女たちのシリア内戦 難民の証言さまざま

レバノン北部ハルバの難民キャンプで祈るザーイラ・アハメド。昨年春、娘が何者かに殺され、家も爆撃を受けたためレバノンに逃げてきた。息子2人もシリアで何者かに拘束されたまま消息不明だ(撮影・高橋邦典、共同)

レバノン北部ハルバの難民キャンプで祈るザーイラ・アハメド。昨年春、娘が何者かに殺され、家も爆撃を受けたためレバノンに逃げてきた。息子2人もシリアで何者かに拘束されたまま消息不明だ(撮影・高橋邦典、共同)

 地中海からの穏やかな風にオリーブの実が揺れる国で女たちの嘆きの声を聞いた。どうしてだろう。みな平和な暮らしを願っていたが、それぞれの「敵」の名が違うのだ。聞けば聞くほど真相はやぶの中、闇の奥へと後ずさりする。ここはレバノン。隣国シリアの内戦で80万人以上のシリア難民が押し寄せている。

 まず、子供だけで国境を越えた16歳のアミナ・アッカリの話を聞こう。彼女は北部の町ハルバ近郊の知人宅で暮らす。

▽国境越え

 「私と当時12歳の妹モンナ、10歳の弟イブラヒムの3人で(シリア北西部の町)タルカラフを出たのは昨年4月15日の早朝でした。子供だけで国境を越えたのは私の父マジェットも母サウサンも(反政府勢力)自由シリア軍にかかわっていたからです。父は2011年に路上で狙撃手に腹を撃たれ、殺されました。シリア政府軍の仕業と母から聞いています。出血が止まらずに苦しむ父の頭を母は一晩中抱え、最期をみとりました。母は、自分と一緒に子供たちが国境検問所に行けば、みな殺しにされると恐れたんです。出発前、母は『おまえが妹と弟を守るんだよ』と言い、泣きながら私を抱きしめました」

 「家を出てからは、ずっと震えが止まらなかった。弟のイブラヒムは途中で何度も泣きだしました。でも、妹のモンナは私より落ち着いていた。モンナは度胸があるんです。あの子に私はずいぶん助けられた。母の知り合いの男性が運転する車の荷台に乗り、国境に着いたのは夕方。男性が検問所をうまくやりすごし、国境を越えたときは心からほっとしました。でも、荷台から後ろを振り返りながら思いました。『故郷シリアにいつ帰って来られるのだろう』と」

 「国境近くの民家からレバノンに住む叔母宅に電話をすると、義理の叔父が出て『すぐ行く』と言ってくれました。私の声はまだ震えていたそうです。3時間ほど後、車で迎えに来た叔母夫婦の姿を見たときは、涙が止まりませんでした。母から私たちの計画を事前に聞かされていた叔母は、私を抱きしめ、泣きながら崩れ落ちるようにひざをつきました」

 「母が他人の身分証明書を手に入れて国境を越え、私たちと再会できたのは10日後でした。母は言いました。『おまえたちだけで出発させた後、心配でたまらず、すごく後悔した。こんな思いをするくらいなら家族一緒にシリアで死ぬ覚悟を決めればよかった』と。私たちの敵はアサド政権です。政府軍は父を殺し、今も多くの人々を殺し続けています」

        レバノン北部でシリア(上部の丘の向こう側)との国境近くに立つサウサン・アッカリと子どもたち。サウサンの夫はシリア政府軍に殺された。現場付近ではシリア側の狙撃兵による負傷者も出ており危険だ(撮影・高橋邦典、共同)

レバノン北部でシリア(上部の丘の向こう側)との国境近くに立つサウサン・アッカリと子どもたち。サウサンの夫はシリア政府軍に殺された。現場付近ではシリア側の狙撃兵による負傷者も出ており危険だ(撮影・高橋邦典、共同)

 ▽山に登る自由

 ハルバの難民キャンプ。74歳のザーイラ・アハメドは国際機関から支給されたテントにトタン板などを継ぎ足しただけのバラックで娘婿と2人で暮らす。床はむき出しの土。ハエが舞う薄暗い土間で彼女は何度も天を仰ぎながら語った。

 「私がまだ幼いころ、両親は遊牧をやめて(シリア北部)イドリブ県で農業を始めたんだ。5ヘクタールの土地にオリーブ、小麦、ヒラマメを植えて、娘と2人の息子と一緒に穏やかに暮らしていた。内戦が始まった後の2年ほど前、銃を手にした男たちが20代の息子2人を拉致していった。兵士にするために連れていったのだと思う。昨年春には、町に買い物に行った25歳の娘が車から降りようとしたときに狙撃手に頭を撃たれて死んだ。だれがやったか、だれが敵なのかも分からない」

 「民主主義については知らないが、自由についてなら少し知っている。故郷にいた時は羊を連れてどの山にも登れた。それは自由にできた」

 「内戦がひどくなると、村に飛行機が来て爆弾を落とすようになった。村を逃げ出す途中に爆弾が私の家に落ち、真っ赤に燃え上がるのを見た。両親が建てたあの家は寝室が五つと広い居間もあったのに。今は神に祈り続けている。燃え落ちたあの家でいいから、故郷に戻してほしいと」

 ▽あの革命は何?

 レバノンの首都ベイルートのシャティーラ難民キャンプで暮らす63歳のサバ・マンスールはシリアで生まれたパレスチナ難民2世だった。「二重難民」ともいえる彼女の話を最後に聞こう。

 「自由がほしい革命って、あれは何なのでしょう。普通の暮らしができれば私たちはよかったのに。革命には(国際テロ組織)アルカイダも加わっているんです」

 「シリアのパレスチナ人には永住権が与えられ、シリア人と同じ福祉を受けられました。教育は無料、医療にもお金はほとんどかからない。食料品の値段もレバノンよりずっと安かった」

 「革命が始まると首都ダマスカスのパレスチナ人地区にもロケット弾が飛んで来るようになりました。地区は包囲され、女は逃げ出せたけれど男は逃げ出せず、20代の息子2人は今もダマスカスです。電話も通じない。この前、うたた寝をしていたときに息子たちが私を呼ぶ声が聞こえた。空耳でなく、本当に聞こえたんです。辺りを探し回ったけれど息子はおらず、涙が止まりませんでした。今も息子たちの無事を神に祈り続けています」(敬称略、共同通信編集委員 石山永一郎)=2014年02月25日

メモ

難民への視線は複雑

 シリアのアサド政権に対する反政府運動は、「アラブの春」とも呼ばれた中東民主化運動の影響を受け、2011年3月からシリア各地で始まった。これを政権側は武力で弾圧し、内戦は現在も続く。国連などによると、死者は11万人以上、レバノン、ヨルダン、トルコなど周辺国に逃れた難民は200万人以上で「21世紀最大の人道危機」とも言われている。

 人口約400万人の小国レバノンは、80万人以上のシリア難民が流入したことで家賃など物価が急騰、難民に職を奪われる危機感を抱く人も多い。その境遇には同情的だが、レバノン人が難民に向ける視線は複雑でもある。