47NEWS >  47トピックス > 祈りよ力に > 「祈りよ力に」(6) ロシア・チェチェン共和国(下)

「祈りよ力に」(6) ロシア・チェチェン共和国(下)

守り通した医師の誓い 命を救い、狙われる  血の記憶に今も苦しむ

病院の診療室から外を眺めるハッサン・バイエフ。診療後にチェチェン紛争中のつらい体験を語る人々に何時間も耳を傾けることもある。自身も心の傷を癒やすため、イスラム教の聖地メッカに2度巡礼した=グロズヌイ(撮影・ドミトリー・ベリヤコフ、共同)

病院の診療室から外を眺めるハッサン・バイエフ。診療後にチェチェン紛争中のつらい体験を語る人々に何時間も耳を傾けることもある。自身も心の傷を癒やすため、イスラム教の聖地メッカに2度巡礼した=グロズヌイ(撮影・ドミトリー・ベリヤコフ、共同)

 手術台の血まみれの男は、ロシア軍が懸賞金をかけて追うチェチェン独立派武装勢力の指導者シャミル・バサエフだった。治療すれば問題が降り掛かるだろう。だが、ためらいはなかった。アラーよ、ご加護を。いつものように手術前の祈りを唱えた。

 「命を救うのが医者。手術をしたのは当然のことだ」。ロシア南部チェチェン共和国の首都グロズヌイの小児病院。50歳の医師ハッサン・バイエフはそう振り返った。

 ハッサンはチェチェン紛争中、医師の倫理をうたう「ヒポクラテスの誓い」を守り通し、市民のほか、故郷に進攻したロシア軍の兵士や独立派武装勢力の戦闘員ら1万人以上を平等に治療。ゆえにロシア軍からは「テロリスト」と、武装勢力の一部からは「裏切り者」として命を狙われた。


        口唇口蓋裂の手術後、麻酔で眠る娘と寄り添う母親。無料の手術は他では受け入れられないため、子供病院にはチェチェン各地から子供を連れた親たちが詰めかけた=グロズヌイ(撮影・ドミトリー・ベリヤコフ、共同)

口唇口蓋裂の手術後、麻酔で眠る娘と寄り添う母親。無料の手術は他では受け入れられないため、子供病院にはチェチェン各地から子供を連れた親たちが詰めかけた=グロズヌイ(撮影・ドミトリー・ベリヤコフ、共同)

 ▽自身も重傷

 グロズヌイ近郊の村アルハンカラで生まれた。13歳で出会った柔道が、体が弱かった少年の人生を変えた。数々の大会で優勝し、複数の体育大学から勧誘を受けたが、訪問した医科大学の壁に記された「ヒポクラテスの誓い」に魅せられ、医師の道を選んだ。形成外科医として働いていた1994年、ロシア軍が軍事進攻。ハッサンはアルハンカラに病院を開いた。

 戦争は人の残虐性をむき出しにする。その事実を嫌というほど目にした。砲撃でもがれた手足。クラスター爆弾でずたずたになった体。武装勢力をかくまったと軍に疑われた近郊の村では、女性や子供を含む数十もの焼死体を見た。

 ミサイルが病院を直撃した時には自身も腹部に重傷を負い、1週間近い 昏睡 (こんすい) 状態の中で「花が咲き乱れる天国を見た」。目覚めた時、神が自分に医師を続けさせようとしていると悟った。「命は神が決めるものだ」。死は怖くなくなった。

 99年からの第2次軍事進攻で、ロシア軍は人権団体や医師、報道陣のチェチェン入りを厳しく制限して情報を統制し、無差別攻撃を実行した。

 病院には器具も薬も足りなかった。「なぜやつらを助けるのか」。ロシア軍に家族を殺されて怒り狂う市民から負傷したロシア兵を守った。ロシア軍への怒り、メスを銃に持ち替えたい衝動を「誓い」で抑え込んだ。

 2000年1月、グロズヌイから約300人が病院に運び込まれた。市民、武装勢力、ロシア兵もいた。病院の床が血の海になり、血は靴にしみこんだ。大工用ののこぎりを使い、2日間、一睡もせずに67件の切断手術と7件の脳手術をした。武装勢力の指導者シャミル・バサエフは、その時の患者の一人だった。

        休憩中に看護師らと話すハッサン=グロズヌイ(撮影・ドミトリー・ベリヤコフ、共同)

休憩中に看護師らと話すハッサン=グロズヌイ(撮影・ドミトリー・ベリヤコフ、共同)

 ▽父は何も言わなかった

 その3カ月後、米国に亡命した。脱出を助けてくれたロシア連邦保安局の大佐は、ハッサンの亡命後に殺された。妻子とは米国で合流したが、残った家族は軍にさまざまな嫌がらせを受けた。特殊部隊が家宅捜索と称して家じゅうをひっくり返し、家財道具を運び去った。かつてソ連軍兵士としてナチスと戦った年老いた父は勲章を着けた軍服姿で立ち会ったが、若い兵士は敬意を払わなかった。弟は「テロリストの共犯」として連行された。

 「すべて私のせいだった。だが、医者として後悔はない。あの戦火の中で私がしたことは正しかったと信じている」。母と姉は電話口でハッサンを責めたが、父だけは何も言わなかった。

 米国では「なぜ自分はここにいるのか」と問い続けた。故郷には自分を必要としている人たちがいるが、米国の医師資格はなく、ここでは何もできない。「地獄のような日々でも人の役に立てていた頃は幸せだった」

 2007年、周囲の反対を押し切り、平穏になりつつあったチェチェンに戻った。駆け寄ってきたかつての患者らに「命を助けてくれてありがとう」と言われた。

 以来、毎年、数カ月間戻り、医療を続ける。共和国保健相のポストを提示されたことなどから親ロシア政権寄りとの批判も受けたが「私は政治家ではない。誰にも属さない」と意に介さない。

 グロズヌイは急速に整備され高層ビルが建つが、周辺には数十万個の地雷が埋まったままだ。紛争後、障害児の出生が増えたといわれる。環境に有毒な兵器が使われた疑いがあること、妊娠中の母親が極度のストレスを受けたことなどが背景にあると推測されている。民間団体の協力を得て 口唇口蓋裂 (こうしんこうがいれつ) の子供たちを無料で手術する白衣のハッサンに、母親たちはすがるようなまなざしを向けていた。

 ハッサンは言う。「戦争前はいつも笑っていたのに、今はいつもどこか悲しい」「救えなかった人々や床を染めた血の記憶に苦しんでいる」

 

        手術中のハッサン(撮影・ドミトリー・ベリヤコフ、共同)

手術中のハッサン(撮影・ドミトリー・ベリヤコフ、共同)

 ▽命の尊さを信じること

 戦火の日々から学んだことはある。命の尊さを信じること、人は支え合わなければならないこと、そして祈ること―。「最も困難な時でも、祈りは安らぎをくれる。最後にはすべてがうまくいくと信じることができる」。東日本大震災で、いまだ苦しむ人々に伝えてほしい、とハッサンは付け加えた。
 それからもうひとつ。「心を制御するすべを教えてくれた柔道に感謝している。怒りが爆発しそうになったとき、何度も助けられた」(敬称略、共同通信記者 舟越美夏)=2014年02月12日

メモ

受け継がれる倫理 

 独立を求めるチェチェン人の戦いは、ロシアに征服された19世紀半ばにさかのぼる。スターリン時代の少数民族弾圧政策では、カザフスタンなどへのチェチェン人強制移住で人口の半数近くが死亡した悲劇もあった。
 ハッサンは数度来日し、祖国で苦しむ子供たちへの支援を訴えたり、埼玉や東京の病院でレーザー治療など最新技術を学んだりした。東日本大震災が発生した時、「野戦病院で鍛えた技術が役に立つのではと、いてもたってもいられなかった」が来日はかなわなかった。

 ヒポクラテスの誓いとは、古代ギリシャの医師集団に伝わっていた神に誓う医師の倫理で、純粋と神聖を貫く、自由人と奴隷とを差別しない、他人の秘密を守る―などが内容。1948年の世界医師会総会で、この誓いを現代化し、人道的配慮、人命尊重、守秘義務、患者の非差別などをうたったジュネーブ宣言が出された。宣言は幾度かの改定を経て現在も受け継がれている。