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「祈りよ力に」(4) ロシア・チェチェン共和国(上)

愛と洗脳とテロと 心の傷につけ込まれ 増える女性自爆犯

「兄のために復讐を遂げたいという一心でした」。深いため息とともにルイーザは、自爆テロの実行に傾いていった当時の心の内を語った=チェチェン共和国東部(撮影・ドミトリー・ベリヤコフ、共同)

「兄のために復讐を遂げたいという一心でした」。深いため息とともにルイーザは、自爆テロの実行に傾いていった当時の心の内を語った=チェチェン共和国東部(撮影・ドミトリー・ベリヤコフ、共同)

 言われた通りに庭の一角を掘ると、スポーツバッグが埋まっていた。中には黒いビニール袋。手にずっしりと重かった。その瞬間に分かった。まだ準備ができていない。袋の中の「自爆ベルト」を体に巻き、人々を殺す準備が―。

 2014年2月上旬、ロシア南部ソチで冬期五輪が開幕する前、女たちによる自爆テロが頻発した。仕掛けていたのは、ソチ五輪開催に反発、南部一帯でイスラム国家建設を掲げる武装勢力。彼らは、家族をロシア軍に殺されたり、愛する男に裏切られたりと心に深い傷を負った女たちに近づき、洗脳する。自爆ベルトを巻いた女たちは、ロシア軍兵士や警察官に近づく。起爆スイッチを押すのは通常、付近で自爆を見届ける男たちだ。

 30代後半のルイーザの目元は優しげで、瞳は茶色だった。ロシア南部チェチェン共和国に生まれたチェチェン人。 復讐 (ふくしゅう) のため一度は自爆ベルトを手にした彼女が、愛と憎しみ、祈りを語った。


         ロシア南部では今もテロが続く。2013年10月下旬に自爆した女性の出身地ダゲスタン共和国グニブは深い山に囲まれてあった。女性は離婚直後に過激派の男とモスクワで知り合ったとされる。一人暮らしの母親は「今も信じられない」と泣いていた(撮影・ドミトリー・ベリヤコフ、共同)

 ロシア南部では今もテロが続く。2013年10月下旬に自爆した女性の出身地ダゲスタン共和国グニブは深い山に囲まれてあった。女性は離婚直後に過激派の男とモスクワで知り合ったとされる。一人暮らしの母親は「今も信じられない」と泣いていた(撮影・ドミトリー・ベリヤコフ、共同)

▽復讐は権利

 父を6歳の時に亡くし、大学卒業後に国の行政機関に就職した私はロシア人の良き友人に囲まれていました。

 私の人生を大きく変えたのは、チェチェンを破壊したロシア軍と独立派武装組織との1994年からの紛争です。家族や友人を失わなかったチェチェン人はいません。ロシア軍はテロ掃討作戦の名の下で猛爆を加え、大勢を殺し、男たちを拉致したのです。

 2003年、兄が突然、姿を消しました。車で帰宅途中、軍に連れ去られたのです。一家の大黒柱で何でも話し合えた最愛の兄でした。私は警察や検察に通い、必死に捜索を頼みました。母は寝込み、兄の妻と2人の息子は泣き続けました。

 ある夜、近所の男が家に来て言いました。「君の兄さんはロシア軍に殺された」。「信じない」と言い張る私に、彼は「確かだ」と言うのです。

 男は数日後、別の2人の男と女1人を連れて来ました。過激な武装勢力のメンバーでした。「復讐はあなたの権利だ」。その4人は言いました。

 私は兄が生きているという希望を捨てず、思い付く限りの場所に足を運んで捜し続けました。絶望的な気持ちになると、深夜に何度も訪れる4人が繰り返す「復讐」という言葉が脳裏をよぎりました。

 1年が過ぎたころ、捜索の様子を聞きに行くと検察官が「捜索なんかしない」と鼻で笑ったのです。その時からです。4人の言葉に真剣に耳を傾けるようになったのは。

 4人は私の動きを逐一把握し「支援」と「復讐」で迫ってきました。「兄の子に月300ドルを支援しよう」「あなたの復讐は義務だ」

 気を付けろ。私の心の声は警告を発していました。当時はまだ20代。傷つき、独身で子供がいない私は操りやすいと思われていると。でも、次第に底無し沼に引きずり込まれる感覚にあらがえなくなっていきました。

▽侮辱

 ある日、酔った数人のロシア兵が家になだれ込んで来ました。窓を割り、飼い犬を撃ち殺し「こいつらも将来はテロリストだ」などと子供たちを罵倒して去ると、9歳だった兄の長男が叫びました。「大きくなったらロシア人を殺してやる」。無理もありません。父を奪われた上、侮辱されたのだから。

 「ロシア人の中にはいい人もいる」と私は諭しました。でも、おいに憎悪が植え付けられたことが悲しかった。私たちは平和的で勤勉な民族なのに、軍や警察はテロ掃討を口実に日常的に嫌がらせをしていたのです。

 やり場のない怒り、絶え間ない悲しみが私を追い詰めました。自爆すれば天国で兄に会えると4人は言う。ロシア兵を殺して復讐を遂げ、苦しみと屈辱に満ちた日々に終止符を打ちたい。気付いた時にはそれが切なる願いになっていました。

 ある日、4人のうちの女が私に告げました。「あなたの家の庭に自爆ベルトを埋めた。準備ができたら教えて」

▽母のために

 とっくに準備はできている、と私は思っていました。だから自爆ベルトを手にした時、決心がつかない自分に驚きました。

 親戚の男性に「復讐したい」と打ち明けると、彼は私の顔をじっと見て言いました。「あなたのお母さんは耐えられないだろう」

 私をこの世につなぎ留めた言葉でした。母は私にとって唯一の汚れなき存在。「テロリストの母」という汚名で苦しめることはできません。

 心変わりを過激派が知ると殺されると思い、チェチェンから遠く離れた知人の家に隠れて過ごしました。体を壊して入院した時、同室のロシア女性に自分の胸の内を打ち明けると、彼女は私の前でひざまずいて言いました。「私たちロシア人を許してほしい」。2人で泣きました。

 1年後、ロシア軍に殺されたのか、あの4人が姿を消したと聞き、チェチェンに戻りました。今も兄の帰宅を待ち続け、心の痛みが消えることはありません。心の底で復讐がくすぶる時には祈ります。祈りは教えてくれる。罰を下すのはアラー(神)だ。私ではないと。(敬称略、共同通信記者 舟越美夏)=2014年01月29日

死者数十万、大半は市民

 

メモ

死者数十万、大半は市民

 チェチェン紛争は1991年末に旧ソ連からの独立をチェチェン共和国が宣言したことをきっかけに始まった。ソ連崩壊後、ロシア軍は94年からと99年からの2次にわたり、本格的な軍事弾圧を実施。2次以降、紛争はイスラム教徒が多い北カフカス地域全体に拡大、宗教戦争の様相を帯びた。

 ロシア軍は空爆、独立派らの拉致、処刑などを実行、独立派はゲリラ戦やテロで応じた。一連の紛争での死者は数十万人。大半は民間人とされる。

 ロシアは2009年に対テロ作戦終了を宣言したが、武装勢力は現在もチェチェン、ダゲスタン両共和国とその周辺でのイスラム国家樹立を掲げてテロを続け、自爆犯に仕立てられる女性は後を絶たない。