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「世界を救った男」の寂しい死

スタニスラフ・ペトロフ氏=2015年8月、モスクワ郊外の自宅(AP=共同) スタニスラフ・ペトロフ氏=2015年8月、モスクワ郊外の自宅(AP=共同)

 少年のころ、「世界を救う英雄」に強い憧れを抱いた。それはウルトラマンやウルトラセブンといった怪獣映画のヒーローだったり、スーパーマンなどSF映画の主人公だったりしたが、大人になるにつれ、そんなことは平凡な一個人の力ではできないことを悟り、寂しい思いにとらわれた。冷戦を終結させた旧ソ連のゴルバチョフ元大統領やレーガン元米大統領、ゴルバチョフ氏の後を継ぎ核大国ロシアを率いたエリツィン元大統領といったそうそうたる人物にも、直接的な意味で「世界を救う」決定的な瞬間はなかっただろう。しかし、ロシアには本当に「世界を救った」男がいた。今年5月、モスクワ郊外の自宅で77歳で死去したが、その死はつい最近まで世界に知られることはなかったほど、英雄にしては寂しい晩年だった。

 ▽ 熱したフライパン

 その人物はスタニスラフ・ペトロフ氏で、英BBC放送などによると、冷戦下の1983年当時、旧ソ連軍中佐として米国や北大西洋条約機構(NATO)諸国からの核攻撃早期警戒拠点に勤務。同拠点はモスクワにあり敵国からの核ミサイル飛来を人工衛星で察知する任務を帯びており同年9月26日深夜、ペトロフ氏が当直に当たっていた。突然、コンピューターが旧ソ連に向け1発のミサイルが飛来していると警告。ミサイルの数は計5発にまで増え、ペトロフ氏は直ちにこの情報を軍トップに報告しなければならなかった。

 当時は大韓航空機撃墜事件の直後で、米ソ関係は緊張の極みにあった。もしペトロフ氏がこの情報を伝えていたら、旧ソ連軍は相互確証破壊(MAD)戦略に基づき、米国に対し核攻撃の報復措置を取る可能性が高かったとされる。しかしペトロフ氏は、もし本当に米国が核攻撃を仕掛けたなら、何百発ものミサイルによる同時攻撃となったはずで5発だけというのはおかしいと判断。衛星監視システムの誤作動の可能性があるとして、軍トップへのホットラインの受話器を取らなかった。その際の心境を後に「熱したフライパンの上に座り込んだように感じた」と語った。

 ▽ 服務規律違反

 結果的に雲に反射した日光を人工衛星がミサイルと誤認したことが原因の警戒システムの誤作動だったと判明。しかし、軍上層部は直ちに報告しなかった服務規律違反を問題視し、ペトロフ氏を審問に掛け懲戒処分とし左遷。同氏はその後、軍を退役しひっそりと年金生活を送ることとなった。事件は極秘扱いとされたがソ連崩壊後の98年、旧ソ連軍幹部の回顧録で初めて公になり、2006年には国連で表彰されたほか、その後、自身がモデルのドキュメンタリー映画も公開された。そのタイトルは「赤いスイッチと世界を救った人間」だった。ペトロフ氏は生前、自らの行為について「当然のことをしたまで」と謙虚に話していたという。

 ペトロフ氏を英雄視することに対しては、ロシア政府は、たとえ同氏がミサイルの飛来を報告していたとしても、報復のための核攻撃までには何段階もの確認システムがあり、「世界を救った」というのは誇張だとする立場を示している。

 ▽ 偶然

 5月19日にこの世を去ったが、ロシアのメディアは冷淡で死去の事実にはほとんど触れなかった。その死が世界に知られたのは偶然の産物だった。友人であるドイツの映画作家が9月7日、ペトロフ氏の誕生日を祝おうと電話したところ息子から同氏の死を伝えられた。映画作家はブログでこのことを報告し、ドイツメディアの目に触れることになった。

 命令に反して多くの人名を救った点では、第2次大戦中、外務省からの訓令に反して、リトアニアで大量の通過査証を発給し、多数のユダヤ人避難民を救った故杉原千畝さんを思い起こさせる。折しも、トランプ米大統領が19日、就任後初めて国連総会の一般討論演説を行い、核実験などを強行した北朝鮮を世界共通の脅威と非難、米国が自国や日本など同盟国の防衛を迫られれば「完全に破壊(TOTALLY DESTROY)」すると言明した。東アジアで核をめぐる危機が高まっている中、いまこそこうした勇気ある人が求められているのかもしれない。 (47NEWS編集部 太田清)