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問われる動物園・水族館の根拠  JAZA脱退の背後にある危機

和歌山県太地町立くじらの博物館で行われているイルカショー=2015年5月20日 和歌山県太地町立くじらの博物館で行われているイルカショー=2015年5月20日

 きらきらと光る巨体が水面を突き破り、青い空に高く舞う。ザッバーンという着水音。スタンドまで水しぶきが飛ぶ。悲鳴や歓声が明るい。

 イルカショーは水族館の人気イベントだ。だが、それは水族館に不可欠なものだろうか。

 日本動物園水族館協会には主要な動物園・水族館のほとんどが加盟する。略称「日動水」、またはJAZA(ジャザ)。ZはZOO(動物園)、最後のAはAQUARIUM(水族館)の頭文字だ。

 最近、このJAZAから4水族館が脱退した。4館のうち複数の館が脱退理由として、和歌山県太地町のイルカ追い込み漁で捕獲したイルカの購入を、JAZAが禁じたことを挙げている。

 JAZAが禁止措置をとったのは、世界動物園水族館協会(WAZA)から追い込み漁によるイルカの入手を問題視されたからだ。WAZAはJAZAの会員資格を停止してまで改善を求め、JAZAがこれに応じて禁止を決めたという経緯がある。

 4館の脱退によって、JAZAは組織的な危機を迎えたようにみえる。イルカ追い込み漁を巡って、加盟水族館とWAZAの板挟みとなり、WAZA残留を選んだ結果、加盟館の離脱を招いた。くしの歯が欠けるように、これからも脱退が続くかもしれない。追い込まれたのはイルカではなく、実はJAZAだったのか。

 他にとるべき道はなかったのか。WAZAを脱退して自国の伝統と文化(イルカの追い込み漁)を守り、いわば「光栄ある孤立」を選ぶことはできなかったのか。あるいは、WAZAに日本の伝統文化をよく説明して、理解を得る努力は尽くしたのか。そんな声もあるが、いずれもことの本質を捉えていないように思う。

 ▽ボーンフリー

 私はこの9年間、動物園や水族館の取材を続けている。詳しい事情は省くが、生きもの好きでも動物園・水族館のファンでもなかったから、取材は手探りで始まった。その最初のころ、東京・多摩動物公園の昆虫園を訪れた。

 扉を開けた瞬間、むっとする熱気に包まれ、目の前を大型のチョウが横切った。色とりどりのチョウたちは、熱帯の植物の間を自由に飛びまわっている。別世界だった。

 ベテランの飼育係に取材した。飼育にまつわる苦労や工夫を聞いた後、「楽園のようなところで暮らせて、チョウたちは幸せなんでしょうね」と問うと、予想外のボールが返ってきた。

 「そういう擬人的なのはいけないんじゃないの。僕は擬人化は嫌いだね」

 どういう意味だろう。でも、この人は意地悪で言っているわけではないようだ。そこで「そうですか、擬人化はいけませんか」と緩いボールを返して、説明してくれるのを待った。たばこに火を付け、ちょっと間を置いてから彼が口を開いた。

 「外敵がいなくて毎日えさもらえて幸福ですね、って言われても、どっちが幸福だか分かんないでしょ。自然界で自由に飛びまわっているのと」

 動物園の取材を始めるに当たって、私は関係の本を何冊か買い込み、斜め読みしていた。その中に書いてあったことを思い出し、もう一度、食い下がった。

 「動物園のゾウは不幸なのかと問われると、外敵がいなくて食べ物の心配もないんだから野生よりいいんだ、長生きもするんだと答える人もいますよね」

 「そう。だけど、外敵なんかにおびえながら、それでもたくましく野生で生きるのが、やっぱり野生動物なわけでしょ。こういうことを言うと動物園を否定するみたいになるけれど、本来こんなもの、ない方がいいわけですよ。生物というのはボーンフリーだと思う」

 そして彼は「野生のエルザ」の話を持ち出した。人間の手で育てられたライオンを野生にかえす物語の原題は「ボーンフリー」。生まれながらにして自由とでも訳すのか。「本当はおりに入れて飼うべきじゃない。長く勤めてきてやっぱりそういうジレンマがありますよ」。率直な述懐だった。

 「そういう意味で、擬人化して『チョウも幸せだろう』というのは駄目なわけですね」。彼はうなずいた。「動物はボーンフリー。擬人化すれば、どうしても人間の視点になってしまう」

 ▽擬人化の徹底

 「擬人化」とは何か。確かに不徹底な形で生きものに適用すれば、動物園や水族館にいる方が幸せだということになりかねない。だが、もっと徹底して擬人化したらどうだろう。

 WEB記事を検索すると、JAZAを脱退した4水族館のうちのある館長は、インタビューで「自分を魚にたとえたら?」と問われ「イルカ」と答えていた。もし自分がイルカだとしたら―。擬人化をそこまで徹底すれば、事態はもっとはっきり見えてくるのではないか。

 私はイルカだ。広い広い海を仲間とともに泳ぐ。病気や天敵、自然条件のリスクはあっても、どこまでも自由だ。ある日、私は人間に生け捕りにされた。プールに運ばれ、えさを与えられ、ショーの訓練を受ける。うまくやれば、より多く与えられる。きょうも狭いプールで高く飛ぶ。あの自由な海であり得なかったほど高く。毎日、朝から夕方まで何度も―。

 ショーで能力の限界までジャンプさせることに対して、専門家からは健康上の問題を指摘する声もある。イルカの背中には空気孔があるが、それが閉まり切らないで水に降りる危険があり、そうすると海水を吸って誤嚥性(ごえんせい)肺炎を起こすこともあるという。

 今回の脱退騒動のきっかけは、イルカの追い込み漁だった。だが、究極の問題はそこにはない。イルカという種だけに限定される問題でもない。人間はなぜ生きものを野生から捕まえてきて、飼うことができるのか。見せ物にすることができるのか。

 危機はJAZAに迫っているのでない。動物園や水族館そのものの根拠が問われているのだ。 (47NEWS編集部、共同通信編集委員 佐々木央)