47NEWS >  日めくり >  02月22日の日めくり

日めくり

 ▽被害者の立場、加害者の立場 


 山口県光市の母子殺害事件で被告の上告が棄却され、死刑が事実上確定した。犯行当時18歳1カ月。少年に対する死刑の是非ばかりでなく、裁判員裁判と絡めた死刑制度そのものについても考えさせられる裁判だった。この問題は誰が考えても難しい。「47NEWS」加盟各紙のコラムも、きょう3社が取り上げているだけだ。


 私が取り上げたいのは、死刑についての国民の意識だ。4年前の内閣府の世論調査でも「死刑廃止に反対」という意見が85.6%を占め、「賛成」はわずか5.7%。この40年近く、「反対」が増え続けており、厳罰を求める傾向が強まっているのは明白。それは「自己責任」を求める最近の風潮と重なっている。理由はいろいろあるだろう。しかし「死をもって罪をあがなうべきだ」という考え方の根底には、間違いなく「復讐心」が存在する。死刑に賛成の人が反対の人に言う常套句は「被害者の遺族の立場になって考えてみなさい」だ。それは、市民が被害者側に立って物事を想像することを求めている。


 飛躍するが、戦後の日本社会は、常に自分を被害者の立場に置くことを前提にしてきた。「自分は悪くない。弱い被害者」だと。そして、もし加害者になる場合は…匿名でなければならない。そうやって匿名犯罪は広がってきた。


 復讐心が人間の素朴な感情であることは認める。さらに、殺人などの犯罪の被害者遺族が、これまでないがしろにされがちだったこともたしかだ。しかし、ささやかな疑問を提出させてもらいたい。こうした事件の場合、被害者とほぼ同数の加害者(被害者が複数の場合もあれば、加害者が複数のこともある)が存在する。では、被害者の遺族の立場になって考えることを自分にも人にも求めるのに、逆に、加害者家族の立場になって考えることがなぜできないのか―。どちらの立場になるのも同じ程度の確率のはずなのに…。


 へ理屈だと言われるかもしれないが、そう言う人の気持ちには「加害者家族、特に親には責任がある」という感情がある。「親のしつけや教育が悪かったから」という理由づけ。たしかに、そうした感情も理解できる(私にも幾分かはある)。しかし、そう考えていくと、死刑とは、実は復讐心と「罪、三族に及ぶ」といった、古めかしい感情に支えられて存在している制度なのではないか。(2012年2月22日 47NEWS編集部 小池新)