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【国民栄誉賞】故遠藤実さんに国民栄誉賞 美しい何かがまだ信じられた時代


 【上毛新聞のコラム】 三十年ほど前、中国から永住帰国した人を取材した縁で、その人の長女の結婚式に招かれ、司会役を務めた。前橋市内で開かれた披露宴がお開きになる寸前、全員で『北国の春』を合唱した。出席していた中国の人たちも、みんな笑顔で声高らかに歌った。会場で「中国でこの歌を知らない人はいない」と聞いて驚いた。日本のヒット曲が中国でも人気があるなんて…遠藤さんのメロディーからは、叙情豊かな詞が素直に飛び込んでくる。そして離れない。政府はきのう「国民に潤いと希望を与えた」として、遠藤さんに国民栄誉賞を贈ることを決めた。中国にまで歌声を響かせた功績はいつまでも消えない。(2008年12月20日付「三山春秋」)全文

 ◆政府は19日、戦後歌謡界を代表する作曲家で今月6日に死去した遠藤実さんに国民栄誉賞を贈ることを決めた。…河村建夫官房長官は国民に「希望と潤い」を与え、「『北国の春』が中国でも歌い継がれている」と語った。記事を読む(共同通信)

 【長崎新聞のコラム】 …48年にヒットした渡哲也さんの「くちなしの花」にはこんな挿話がある。歌詞の「いまでは指輪もまわるほど」の一節に、遠藤さんは結婚式も挙げられぬまま苦労をかけてきた妻を思いやった▲いつかは指輪のひとつも買ってやりたいと思い、時計店のオパールの指輪を毎日見つめていた。「くちなしの花」が売れ、その印税でやっと指輪を買うことができた(「涙の川を渉(わた)るとき-遠藤実自伝」日経新聞出版社)▲深刻化する不況で師走の街にも暗い影が差している。せめて忘年会のカラオケで、「高校三年生」でも歌うのもいいかもしれない。貧しさに挫(くじ)けず夢を追い続けた遠藤さんを偲(しの)びながら。歌は世につれ、世は歌につれという。(2008年12月10日付「水や空」)全文 

 【写真上】死去した遠藤実さん(作曲家)、共同通信
 【写真下】遠藤実さんの葬儀で位牌を手にする長女由美子さん(右)=2008年12月9日午後、東京都内、共同通信

 【南日本新聞のコラム】 竹島、硫黄島、黒島を結ぶ三島村営定期船「みしま」が出港時に船内に流す歌「三島旅情」は、遠藤実さんが作曲した。青い海や潮風、特産のツバキなどを織り込んだ詞に、のどかなメロディーがよく似合う▼1994年1月に硫黄島の三島開発総合センターで披露され、カセットが全戸約250世帯に配られた。以来、村役場でチャイム代わりに使われたり、いろんな催しで活用されたりしている▼役場には、遠藤さん直筆の楽譜の写しも残る。これらが「遺品」となった。…(2008年12月9日付「南風録」)全文

 【熊本日日新聞のコラム】 …▼ミリオンセラーとなった「北国の春」には逸話がある。千の新曲をスタッフと話し合っていた時、レコードA面の詞がしっくりこない。いらいらして「B面はどうするんだ」と聞くと、「白樺 青空 南風」というあの詞が差し出されたという▼原稿を手に二階に駆け上がる。五分たつかたたないうちに曲は仕上がった。「一気に迸[ほとばし]り出たようだった。歌う早さで書いた」と自伝的エッセー『しあわせの源流』に書いている▼脳裏に浮かんだのは、疎開先だった新潟県内野町の空。…(2008年12月8日付「新生面」より)

 【山形新聞のコラム】 ▼▽作曲家遠藤実さんが亡くなった。訃報(ふほう)にふと浮かんだ「高校三年生」や「北国の春」などのメロディー。カラオケで歌った人も多いだろう。作った歌は実に5000曲を超えるという。戦後歌謡界を代表する作曲家がまたひとり旅立った。
▼▽歌だけではない。遠藤さんが残した言葉には含蓄のあるものも多い。「メロディーは電気と同じ。すぐ流れてしまう。心に発色がなければいい曲は書けない」と。天性のひらめきや「心」を大切にしつつ、歌詞や歌い手のイメージをいっぱいに膨らませ常に最良のメロディーを探し求めた。…(2008年12月8日付「談話室」より)

 【徳島新聞のコラム】 北朝鮮の拉致被害者・曽我ひとみさんは、森昌子さんの「せんせい」「おかあさん」を歌い続けていた。おととい、七十六歳で亡くなった作曲家・遠藤実さんの曲だ。それを知った遠藤さん。「素晴らしい歌があれば、つらくても生きていける」と心が震えたという。来日した中国残留孤児の一行と、千昌夫さん「北国の春」を熱唱したこともあった。<あの古里に帰ろかな・・・>。中国でも大ヒットした、これも自身の曲…美しい何かが、まだ信じられた時代。遠藤さんの死は、そんな時代の終わりを告げてもいる。(2008年12月8日付「鳴潮」)全文

 【高知新聞のコラム】 きのう亡くなった作曲家の遠藤実さんは、「北国の春」や「高校三年生」などのヒット曲とともに、世に出るまで大のつく苦労人だったことで有名だ。
戦時中の小学五年の時、新潟市に疎開。家は電気もないほど貧しく、十四歳で働きに出た。生の大根にみそを塗っただけの弁当。歌への夢をかなえようと上京した後も、〝流し〟をしながら独学で作曲を学んだ。
旅回りの楽団をやっていたころ、猛吹雪の中で手が凍えそうになった。手袋もしておらず、あまりの冷たさに小便をかけた。「やせて名もないおれに、ああ、まだこんな暖かいものが残っている」と感じた。
その時ハッとして見上げた夜空には、美しい冬の星座が広がっていたという。遠藤さんが以前の本紙で語っている。その光景が心のフィルムに残り、何年もたって熟成され、「星影のワルツ」に出てきたのだろう、と。…(2008年12月7日付「小社会」)全文

 【新潟日報のコラム】 いったい代表作は何だろう。遠藤実さんほど多くの曲が候補に挙がる作曲家はいないのではないか。それも人それぞれが、大切な思い出を一曲に重ね、「これが一番」と絶対譲りたくないような
▼からたち日記、おひまなら来てね、高校三年生、星影のワルツ、こまっちゃうナ、せんせい、くちなしの花、北国の春、夢追い酒、雪椿…。昭和世代なら歌い手の顔がすぐに浮かんでしまう。残した歌謡曲は五千を超えるという…
▼「一つの歌ができるまでには、人生と同じくらい凝縮した生い立ちがありますよ」。つらい思い出が少なくなかったはずの新潟を、最後まで「わがふるさと」と慕ってもいた。「あのふるさとへ帰ろかな」。遠藤さんはこう口ずさんで、旅立ったのだろうか。(2008年12月7日付「日報抄」より)


◆遠藤実さんが死去 「北国の春」などを作曲

 「北国の春」「高校三年生」など5000曲以上をつくり、戦後歌謡界を代表する作曲家だった遠藤実さんが6日午前10時54分、急性心筋梗塞のため東京都中央区の病院で死去した。76歳。東京都出身。葬儀は近親者のみで行い、後日お別れの会を開く予定。喪主は長女由美子(ゆみこ)さん。

 独学で作曲を学び、1957年、藤島桓夫さんが歌った「お月さん今晩わ」で売れっ子に。舟木一夫さんの「高校三年生」、千昌夫さんの「星影のワルツ」「北国の春」などの大ヒット曲を連発した。「北国の春」は、アジア各国で歌われる国際的ヒットとなった。民謡と歌謡曲を融合した「アキラのズンドコ節」など快活なリズム歌謡も得意とした。…
(2008年12月6日共同通信)全文

 【写真】 死去した遠藤実さん(作曲家)(共同通信)


◆遠藤実さんの主な作品

 遠藤実さんが作曲した主な作品は次の通り(かっこ内は歌手)。
 1957年 お月さん今晩わ(藤島桓夫)
 58年 からたち日記(島倉千代子)
 60年 アキラのズンドコ節(小林旭)
 61年 ソーラン渡り鳥(こまどり姉妹)、若いふたり(北原謙二)
 63年 高校三年生(舟木一夫)
 66年 こまっちゃうナ(山本リンダ)、他人船(三船和子)、星影のワルツ(千昌夫)
 72年 せんせい(森昌子)
 76年 すきま風(杉良太郎)
 77年 北国の春(千昌夫)
 78年 みちづれ(牧村三枝子)、夢追い酒(渥美二郎)

【関連サイト】
財団法人 遠藤実歌謡音楽振興財団

2008/12/19 14:50

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