47NEWS >  47トピックス >  超おすすめ

47トピックス

【為末大の視点】第5回 人間観を変えよう 管理型から選手主導型

 為末大氏
 東京箱根間往復大学駅伝で青山学院大が3連覇を果たした。3年前に楽しんで走ろうと宣言した青学大はストイックな箱根駅伝の空気の中で異質のチームだったが、いつの間にか他校の追随を許さないほどの強豪チームになった。


 スポーツの世界では昔からコーチ管理型か、それとも選手主導型のどちらがよいコーチングかという議論がある。青学大は選手主導型のチームだろう。どちらがよいのかという問いは、人間が最も能力を発揮する組織および環境とは何かという問いを含んでいる。


 働き方改革が叫ばれ、労働時間を減らした場合、生産性が高まらなければグローバル化した競争に負け、組織が崩壊してしまうだろう。生産性を高めるというのは、スポーツのトレーニングでは「量×質」の要素のうち、質をいかに高めるかだ。質は「何をやるか」と「どういう姿勢でやるか」の二つに分けられる。どういう姿勢でやるかの方が、本人の心の中の問題だけにアプローチが難しい。


 ▽自主性に任す


 私自身はコーチを付けない競技人生を送ったので、明らかに選手主導型だったが、管理型のメリットも感じていた。やる気がない時も引き出してもらえる、何をすればいいかを指示してもらえる。考えなくてもいつの間にか頑張れてしまうシステムに乗るのは楽だ。そうすれば選手はひたすらに今日を頑張るということに集中できる。


 一方で、管理型の最大の弊害は選手が主体性を失ってしまう点だ。管理型では問題解決はトップが行い、実行を選手が担うという側面があるが、そうすると問題が起きてもそれを解決するのは自分だと選手たちは思わない。主体性を失った選手をよく見ていると特徴がある。問題が起きた瞬間に必ず監督の顔を見る。自分は主役ではなく、一つの駒だと思っているからだ。


 スポーツはつらい練習を重ねるストイックな世界だから、選手の自主性に任せるだけでは無理ではないかという疑問は確かにある。実際にコーチ管理型でも結果は出たし、それで育った選手はその有用性を実感していた。選手主導型は理想的だが、勝負にこだわるとそんなことを言っていられないと。


 だが、ここ最近選手の自主性に任せる指導法で、選手が好成績を出し始めてきた。卓球女子日本代表監督だった村上恭和氏は選手が練習を休む際も、メール一本の連絡だけで良いというルールで運営していた。理由は、自己管理できない選手がメダル争いをするレベルまで来ているはずはないというものだった。


 選手主導型の良い点は、自分がやりたくてやっているという姿勢が貫かれることだ。同じ練習でもやらされるのではなく、自分のためにやっていると感じる人間の練習の効果は格段に違う。


 理論的に正しい練習を主体性なくやる場合と、例え練習の内容に根拠がなくても主体性を持って行った場合では、後者の方が選手の成績が良かった。正しい戦術よりも、個人が主体性を持って取り組む方が影響は大きかったのだ。


 ▽寛容な社会


 私たちはどんな人間観を持つべきなのか。人間とは管理し、報酬と懲罰を与えなければ動かないのか。それとも自由を与えられ、権限を持てば高いパフォーマンスを発揮するのか。


 管理が緩めば、確かに自分で自分をコントロールできない人間のパフォーマンスは落ちてしまうだろう。また自由になれば、本人が自分で考え意思決定をし、その結果責任をある程度引き受けなければならないため、考えられない人間や主体性を持てない人間は取り残されてしまうだろう。


 それでも私は人間の可能性を信じ、もっと寛容な組織と寛容な社会をつくるべきだと思う。寛容な空気の中でなければ人間は自主性を発揮しない。管理型は問題が起きにくい、きれいに整った世界をつくるのには向いているが、完璧が故に個人が何かを思い付き生み出し、変化していく余地を奪ってしまう。寛容な社会は余白が大きいが、そこに個人が何かを生み出せる余地がある。


 働き方にせよ、組織づくりにせよ、その根本にある人間観を変えていく必要があるのではないだろうか。


【第4回 生産性とトレーニング】
【第3回 見知らぬ自分と付き合う スポーツで学べること】
【第2回 休む勇気】
【第1回 問われるスポーツの公平 科学の力で変容】

2017/01/27 09:56

ロード中 関連記事を取得中...