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【浅沼稲次郎委員長刺殺事件】 浅沼像、隠されて44年 除幕直後から破壊 事件の日比谷公会堂


 浅沼稲次郎のレリーフ=3月、東京都千代田区の日比谷公会堂
 日比谷公会堂(東京都千代田区)で1960年10月に刺殺された浅沼稲次郎社会党委員長(当時)の像を刻んだレリーフが、公会堂3階ロビーの掲示板の裏に隠されたまま、眠っている。71年に設置された直後に何度か壊され、さらなるトラブルを避けて人目につかないように覆われたらしい。事件から55年を経て「言論は暴力に屈さない」姿勢を伝えようと、再公開を求める声が出ている。

 ▽文化人たち

 野間宏、平塚らいてう、吉野源三郎、市川房枝、松本清張、淡谷のり子。「浅沼稲次郎記念碑設立会」の資料によると、発起人には多くの作家や運動家らが名を連ねた。文化人、社会党、労組から 約650万円を集め、彫刻家の 岩野勇三 (いわの・ゆうぞう) 氏がレリーフを制作したほか、記録映画も作られた。

 71年10月、浅沼の妻、 享子 (きょうこ) さんらが出席し除幕式が開かれた。当初は誰でも見ることができたが、右翼からの抗議が相次ぎ、11月には何者かの手で2度にわたり破壊された。ハンマーのようなものでたたかれて顔や胸がへこみ、指の部分がちぎれた。

 日比谷公会堂に詳しい関係者(80)は「それから間もなく、ベニヤ板で覆い隠したと伝えられている。設立会側も了解したようだ」と証言する。その後、ベニヤは常設の掲示板に変わり、奥にレリーフがあることは次第に忘れられていった。

 ▽奔走

 設置したころは革新系の美濃部亮吉都知事の時代だったが、公会堂を管理する東京都は、いい顔をしなかったらしい。「最初は胸像を計画したのだが都が認めず、レリーフも派手なものは断られた」。設立会のメンバーだった 北沢方邦 (きたざわ・まさくに) ・信州大名誉教授(85)はこう振り返る。

 資金集めは寄付が頼り。家電安売り店に勤務しながら、設立会の事務局長を務めていた 武内辰郎 (たけうち・たつろう) 氏(95年死去)が走り回った。妻の 一枝 (かずえ) さん(87)は「寄付金集めの計画を立て、毎日のように協力してくれそうな方々を回っていた」

 武内氏が勤めていた「まや商会」(東京)は家電安売り店の草分け。社長の 山崎信雄 (やまざき・のぶお) 氏(2006年死去)は設立会の中心メンバーで、武内氏を設立会に専念させた上で給料を払い、社有車も提供したという。

 まや商会の当時のチラシには、野間宏さんら革新系文化人が「消費者の立場に立つ山崎さん」と推薦の言葉を寄せている。家電メーカーの価格拘束力がまだ強かったが、反発するように安売りを貫いた。店は山崎氏の息子が受け継ぎ、約2年前まで営業を続けた。

 ▽復活を

 東京都東部公園緑地事務所によると、レリーフは都の財産として登録されておらず、覆われた経緯の記録も残っていない。レリーフを再び公開するかどうかは「何も決まっていない」という。

 社会党の後身、社民党の福島瑞穂副党首は「隠されたままなのはよくない。レリーフをみんなで共有したい」と訴える。事件から55年に当たる今年10月に、レリーフを再公開できないか、市民グループを交えて検討中だという。

 平和運動を続けてきた 内田雅敏 (うちだ・まさとし) 弁護士(70)も「(刺殺事件の)実行犯だった山口 二矢 (おとや) (逮捕後に自殺)も生きていれば72歳。考えも変わっていたのではないか。事件を忘れず議論を続けるためにも、多くの人にレリーフの存在を知ってほしい」と話している。

 ▽「最後まで大衆信じた」 
  側近が見た浅沼の死

 【サイド】 倒れた巨体を抱えると、その口から何かつぶやきが漏れた。言葉は聞こえない。担いで病院へ運ぶ途中、がくっと重くなった―。浅沼稲次郎社会党委員長の秘書だった 酒井良知 (さかい・よしとも) さん(83)は「最後まで大衆を信じた政治家だった」と振り返る。事件前、右翼の嫌がらせが激しくなっても「大衆は俺を殺したりしない」と警備を断ったという。

 1960年10月12日、日比谷公会堂。池田勇人首相、 浅沼委員長 、民主社会党の西尾末広委員長の合同演説会では、浅沼の声をかき消すほどの右翼のやじが続いた。酒井さんは声を張り上げていた大物右翼の後ろで、周辺の動きを監視していた。

 その時、若い男が壇上に駆け上がった。「少し前にも壇上からビラをまいた右翼がいたので同じかと思ったら、刃物を持っていた」。酒井さんが倒れた浅沼に駆け寄ろうとすると、右翼仲間と間違えた報道陣に取り押さえられた。「俺は委員長秘書だ」と叫んだ。

 浅沼の胸のあたりを触ったが目立った出血はない。「委員長、大丈夫だ。傷は浅いよ」と繰り返した。浅沼は安心したような顔になった。だが体内では大出血しており、搬送先の日比谷病院で死亡が確認された。

 あれから55年。日比谷公会堂で隠されているレリーフを再び公開してほしいと願う。「あれは歴史的な記念物。今の人がレリーフを見て、浅沼さんがなぜ殺されたのか、歴史的背景も含めて考えてほしい」と訴えている。

 ▽浅沼委員長刺殺事件

 60年10月12日、東京都千代田区の日比谷公会堂で自民、社会、民主社会の3党首立会演説会が開かれ、社会党委員長の浅沼稲次郎=当時(61)=が右翼思想を持つ元大日本愛国党員の山口 二矢 (おとや) =当時(17)=に胸などを刺され、死亡した。山口はその場で逮捕されたが、11月に東京少年鑑別所で自殺した。首相の池田勇人は国会で追悼演説し、浅沼を「好敵手」と呼び「私は誰に向かって論争を挑めばよいのでしょうか」と語りかけた。(敬称略)

(共同通信=沢康臣)

2015/05/07 10:56

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