【水俣病特措法】「もう、この辺で」という気分ありあり。水俣病のくびきから逃れたいチッソの悲願だった
根本解決を放棄してはいけない 地元で育つ再生の芽
【熊本日日新聞論説委員長 高峰武】
7月8日に成立した水俣病救済特別措置法に関連し、麻生太郎首相がこんな発言をしている。
6月29日の参院決算委。「水俣という名前も、何となく一般では遠くなってきた名前のように思う」。発言が、永田町の水俣病に関する認識を首相流に吐露したものとすれば、特措法成立の経緯と問題点は、まさに「政治の現状」を反映したものと言えるだろう。
特措法の骨子は、水俣病の未認定患者の中で一定の症状がある人に一時金を支払い、その一方で加害企業チッソを患者補償と事業部門に分社化する―というもの。一時金の金額や対象者をどうやって決めるかといった、肝心な点の詰めはこれからだ。
分社化は、水俣病のくびきから逃れたいチッソの悲願だった。親会社のチッソは、子会社の株式を売却して患者補償に充てる。補償が終われば親会社は消滅、つまり、水俣病を引き起こしたチッソがなくなる仕組みだ。
患者にはチッソが補償してきたが、患者の増加で補償金支払いに不安が出ると、行政は熊本県債を発行してチッソの経営を支えた。被害者救済の前に、加害者救済を先行させたことが、問題を複雑にした。これまでチッソに投入された公費は二千数百億円に上る。
今回、チッソを救済策に組み込むため、一定の条件の下とはいえ分社化を法に明記した。誰のための特措法か―。関係者の批判と不安は当然だろう。
「水俣病とは何か」。水俣病をめぐる議論が最後に行き着くのは、患者かどうかを決める認定基準である。1977年、緩やかだったそれまでの基準を厳しいものに変更して以降、判決で何度批判されても「司法と行政は別」として変更を拒んできた。
結果、どうなったか。認定患者は約3千人だが、95年の政府解決策では約1万1千人が対象となり、今回の特措法では約2万人に上るという。
水俣病の被害を説明する場合、どの数字を使うかで、実相は随分違うものになる。住民が水俣病でどんな被害を受けたかを、認定患者の数だけで語ることは不可能だ。
なぜ問題が繰り返されるのか。それは全体の被害の広がりを一度も調べていないからだ。政治や行政は本人申請主義に立ち、目前の問題に対症療法的措置を繰り返した。チッソは陰に隠れた。地域の亀裂は深まり、矛盾の膨らんだ結果が、今、私たちの前に展開する事態である。
公害の原点・水俣病の公式確認は56年。今年53年になる歴史は、被害を小さく押し込めようとする動きに対し、少数者が異議を申し立て、問題のありかを示し続けてきた歴史でもある。事件史に映し出されるのは、歴史に学ばず、接ぎ木のような対策を繰り返す、政治と行政の姿だ。
特措法に流れる「底意」に、「もう、この辺で」という気分をありありと感じる。早期救済を待つ人が確かにいる。しかしそれに対応することは、根本解決を放棄していいこととは違うはずだ。政治も行政も医学も、それぞれまだやるべきことがあり、そのヒントは地元にある。
胎児性水俣病のわが子を「宝子」と慈しんだ親は、子どもを選ばず産み育てた。水銀ヘドロの埋め立て地に野仏を置き祈り続ける人もいる。
東京から遠く離れた熊本、その熊本の端っこにある水俣。そこに、やせ細った政治や行政とは異なるフィールドで、生きる意味を問う人たちが現にいる。これこそ水俣の「再生」の芽のように思う。(2009年7月10日 共同通信への寄稿)
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たかみね たけし 52年生まれ。早稲田大学卒。76年、熊本日日新聞社入社。08年3月から現職。
▼水俣病特措法の要旨はこちら(山陽新聞)
▼ニュース特集「水俣病百科」(熊本日日新聞)はこちら

