【よんなな物語】

亡き妻と築いた「城下町」 マッチ棒20万本で
36年前からマッチ棒を使った工作に取り組む安田幸次さん(84)=金沢市鳴和1丁目=は6日、同市の県銭屋五兵衛記念館にこれまで制作した「金沢城」「尾山神社」など作品7点を寄贈した。作品は先月亡くなった妻スミコさん=享年(85)=と共同で制作してきた。安田さんは夫婦で積み上げた約20万本分の思い出を「妻の協力があったからこそ」と涙ながらに振り返った。
安田さんは30代のころ、同市玉川町の旧日本専売公社で見たマッチ棒クラフトに魅せられ、1973(昭和48)年から、スミコさんと不要になったマッチ棒を集めて制作を始めた。安田さんが設計図を描き、マッチ棒を組み上げる傍らで、スミコさんは材料となるマッチ棒の先端に付着した硫黄分を取り除くため、手作業で水洗いしてくれたという。 …(2009年7月7日、北國新聞)全文はこちら
【写真】展示された作品に見入る安田さん(右)と荒川館長=金沢市の県銭屋五兵衛記念館 、北國新聞
4つのがんを抱え生きる 美容師が単行本を出版
4つのがんを抱えながら、美容師として働き続けている佐藤由美さん(47)=遊佐町直世=が、単行本「余命ゼロを生きる-現役美容師、奇跡の物語」(WAVE出版)を出版した。自らの半生や闘病中の葛藤(かっとう)、明日をも知れぬ命と向き合いながらも前向きに働き続けることの意味などをつづった。佐藤さんは「この本が、病気に限らず、仕事などさまざまなことで苦しんでいる人たちの力になれば」と話している。
佐藤さんは1962(昭和37)年、遊佐町生まれ。地元の高校を卒業後、東京や米国・ニューヨークで美容師として働いた後、家族の看病のために帰郷。2002年10月に美容室「Hair Make『DEAR』」をオープンさせた。
その2年後、42歳で顔のがん「腺様(せんよう)のう胞がん」が見つかった。摘出手術を受けたものの、44歳の時に首の骨と肺に、さらに46歳で眼底に転移。治療法はなく、現在は山形市の山形大医学部付属病院と酒田市の日本海総合病院に通い、緩和ケアを受けながら美容師として働いている。…(2009年7月3日、山形新聞)記事全文はこちら
当世跡継ぎ事情 鈴鹿市「進誠堂」
「家の裏に小屋があって、おやじはそこで毎日、真っ黒けになっていました」。鈴鹿市白子と同市寺家の「進誠堂」で伝統工芸の鈴鹿墨を作る三代目墨匠・伊藤忠さん(44)は、子どものころに見た父亀吉さんの姿をそう振り返る。「継ぐつもりは全くなかった。僕は気が短くて飽き性やから、おやじも継げとは一切言いませんでした」
忠さんは高校卒業後、県内の自動車部品メーカーに勤めたが、働き手を補うため休日に家業を手伝った。それからは、本人いわく「成り行きで」会社を辞め、二十一歳で専業となった。
鈴鹿墨は九世紀に奈良から伝わったとされる。その魅力を、忠さんは「希釈した時の発色」「立体感」「濁りのない透明感のある黒」などと言い表す。下働きの中で墨の奥深さに触れ、亀吉さんの墨しか使わない書家がいるのを知り、家業への認識が変わった。…(2009年6月14日、伊勢新聞)記事全文はこちら
自転車盗み300キロ
広島県警海田署は6月10日までに、兵庫県相生市で自転車を盗んだとして、窃盗の疑いで、住所不定、無職佐藤誠容疑者(23)を逮捕した。
同署によると、相生市から広島県内に住む弟に会うため、2日間かけて自転車で300キロ近くを走破したが、力尽きて同県海田町の交番に出頭。「父が亡くなったことを弟に伝えたかった」と供述している。
逮捕容疑は5月20日午後2時ごろ、相生市那波野のファミリーレストラン駐車場で自転車1台、約1万円相当を盗んだ疑い。
同署によると、弟の住所まではたどり着いたが、既に引っ越していた。所持金は10円で、「3日間くらい何も食べておらず空腹だった」と話している。(2009.6.10 共同)
映画「UDON」主人公の父

讃岐うどんブームを代表する人気店「宮武うどん店」(香川県琴平町上櫛梨)が閉店した。店主の宮武一郎さん(66)が、年齢を重ね、体力的に限界を感じたことから決断したという。先代が開いて半世紀以上、地元住民やうどんファンに愛され続けた老舗は、静かにのれんを下ろした。
同店は、父の士郎さん(故人)が1953年に創業。同店の代名詞にもなっている「あつあつ」「ひやあつ」といった注文の言葉は、同店を訪れた客が使ったのが発祥という。
宮武さんは、本広克行監督の映画「UDON」で、製麺(めん)所を営む主人公の父のモデルになったことでも知られる。
最後の営業となった4日は、…(2009年6月7日、四国新聞) 記事の続きはこちら
名前のないオルゴールの贈り物
春、別れと出会いの季節である。卒業式などいろんな3月の話題の中で、ちょっと遠いが山梨県立盲学校(甲府市)の「名前のないオルゴールの贈り物」のことを◆この盲学校には卒業式が近づくと決まって卒業生全員にすてきなオルゴールが届く。贈り主は女性という以外どこの誰だか分からない。この45年間、毎年「今年の卒業生は何人ですか」と電話があり、その人数分のオルゴールが贈られてくる。今年も10人全員に◆プレゼントは1964年1月のある出来事が発端だった。駅前の公衆電話ボックスに高等部の生徒がクラリネットを置き忘れ、なくしてしまった。…(佐賀新聞2009年3月17日)記事全文を読む
屋台

仙台市青葉区の青葉通に面した仙台銀行本店前で屋台「喜楽」を営む磯チカさん(83)が店を畳むことを決め、常連客から惜しむ声が上がっている。夜の社交場を切り盛りして半世紀以上。体力的にきつくなり、「店は今年いっぱいか来年3月まで」と言う。…数年前には常連客が鍋とカウンターを新調してくれた。開店時から通い続ける客もいる。「店に来て、客と笑ったり怒ったりしている時が一番楽しい。店を休んだ日は気持ちが落ち着かず、熟睡できない」 それでも深夜に及ぶ仕事は年々、負担が大きくなった。80歳を過ぎると足腰が弱くなり、転んでけがをすることも増えた。…(河北新報2009年2月10日)記事全文を読む
【写真】愛情を込めて煮込んだ手作りのおでんを取り分ける「喜楽」の磯さん=仙台市青葉区
名物たこ焼き店
鳥取市元町、旧袋川沿いの名物たこ焼き店「大幸」が先月、店を畳んだ。閉店を知らせる張り紙には「不況と年齢体力と貧乏にとうとう負けてしまいました」。味と店主夫妻の人柄で長年親しまれた店は、引き際もユーモアたっぷりだった。
店は一九八四年八月、小林博明さん(73)=同市行徳三丁目=が、妻の元子さん(74)と一緒に開いた。兵庫県佐用町出身の博明さんは、鳥取市で別の仕事をしていた時に元子さんと知り合った。姫路市でたこ焼き修業を積み西宮市で店を持ったが、「気心の知れた人が多い」鳥取へ戻ったという。
店では、小麦価格高騰で五十円値上げした昨年夏までずっと、十個入り三百円でたこ焼きを提供。外はカリッと、中はトロリで、評判が良かった。
大阪の商品をヒントに考案した、粒あんが乗った小倉ソフト、二十円の値上げを機に白玉団子を入れたたい焼きもヒット。博明さんのユニークな呼び込みやしゃべりのパフォーマンスも魅力の一つで、塾や部活帰りの高校生らを中心に連日にぎわった。
子ども時代から通った常連が多く、気心知れた客ともなれば、自分でたこ焼きを焼いて持ち帰った。「鳥取を離れても、帰った時に必ず来てくれる子がいる。それが本当にうれしかった」と元子さんは話す。
有名たこ焼き店が入ったショッピングセンターが郊外にオープンしても影響は受けなかった。しかし、…全文はこちら (日本海新聞 2009年3月29日)
【写真上】「今は退屈でかなわん」と話す博明さん(右)と元子さん=鳥取市行徳3丁目の自宅で
【写真下】花見シーズンや祭りの時には長い行列ができた=山本陽三さん(鳥取市職人町)提供
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癌を患いながら仕事をし尚且つ政界へ入るのか?私は73歳癌を患った家内と共に生きており永年自民党の支持者だが、この際お灸をすえるべきと考え都議立候補者を調べてた、貴女のホームページが無いのでこの記事から考えたい。苦労人であることは判った、道義国家の建設へ進めますか。銀行は?魚市場は?介護をする者の待遇をよくすべきである。在宅介護は理想であるが寝たきりの者を介護するには2人から3人の介護者が必要ですよ。私と家内は寝たきりの母を5年間在宅介護をやり抜いてきました。母が亡くなり1年後家内が癌で入院以後通院治療中です。父母に孝 夫婦相和しの精神あると信じ健闘を祈る。
投稿者 貝塚直經 : 2009年07月07日 14:01