「先代からの支持者にひとり5人、電話で働き掛けてくれるように頼んでください。必ず逆転できるはずです」。自民党の2世議員と民主党の有力新人が競り合った西日本の選挙区。自民党陣営を取り仕切るベテラン県議は、衆院選投票日の1週間前、約15人の秘書団にこう指示した。
民主党候補はビールケースに乗って演説と握手を繰り返し、選挙事務所は「つじ立ち千回達成」とわき返る。劣勢の自民党陣営が最後に頼ったのは、父親から受け継いだ高齢の支持者だった。
「70代、80代の支持者が、応援できるのは今回が最後かもしれないと真剣に動いてくれた」。自民党陣営のスタッフとして秘書団とともに走り回った経済産業省の元企画官(44)はこう振り返る。自民党候補はわずかな差で民主党の新人をしのぎ、議席を守った。
役所を辞めたのは約3年前。いつか政治家になろうと東京


の区議選や、大都市の市長選を手伝ってきた。民主党陣営に参加したこともある。不況に苦しむ中小企業や、職が見つからない若者と付き合い、地方経済の疲弊も目の当たりにした。
「つじ立ちに集まった人たちと同じ高さの目線で語る民主党候補の姿は大きく見えた。自民党は格差や失業に苦しむ有権者と共感する力を失っている」。真夏の選挙戦は政権党のおごりをあぶり出した。
![]()
根回しの順番まで決まっている与党への気配り。族議員のごり押し。政治資金パーティーへの協力。「自民党システム」に官僚の側がうんざりしている面もある。
「パーティー券をさばくのは各局総務課長の仕事。所管する業界ごとに割り当て枚数が決まっていた」(事業官庁の総務課長経験者)
割り当てを上回るパーティー券をさばき、組織への「忠誠心」を示そうとしたり、政治家に「売り上げ」を直接報告して歓心を買おうとした例もある。しかし「多くの幹部は後ろめたいと思っている。パーティー券から解放されるなら、政権交代もたまにはいいじゃないか」(同)というのが本音だ。
細川護熙氏を首相に担いだ非自民連立政権が生まれたのは1993年8月。同年12月、通産省(現経産省)の産業政策局長が大臣に解任される出来事があった。自民党商工族に近く、次の事務次官は確実とみられていた局長のクビが飛び、霞が関全体が震え上がった。
当時の連立与党最大の実力者は小沢一郎氏。「小沢さん
は大蔵省(現財務省)の主計局長更迭も考えていた」とみる閣僚経験者もいる。
現在の主要官庁トップは、当時はまだ若手の課長クラス。「劇的な人事で政権の力を見せつけ、官僚機構を操縦する手法が再び繰り返されるのか」(金融庁幹部)との不安は隠しようがない。
![]()
自民党政権では、予算などをめぐる政府、与党の利害調整は、財務省が担ってきた。民主党は、首相官邸に国家戦略局を設置し、トップダウンで政策を決める仕組みをつくろうとしている。
「政治と官庁の駆け引きは口伝でしか引き継がれないものがある。民主党は目に見える世界しかまだ知らない」(元大蔵事務次官)
経産省出身の加藤創太(かとう・そうた)国際大教授(42)は「官僚主導」といわれてきた政策決定の実態を次のように分析する。「族議員や与党実力者の利害衝突を、官僚が間に入って調整してきた。官僚側も政治家との貸し借りの中で、自分たちのやりたい政策を実現してきた」
予算編成の権限を握る財務省の調整能力は群を抜いていた。やっかいな問題を解決し成果を挙げるには、財務省の手のひらで踊るのが早道なのは間違いない。「民主党が本気で新しい形をつくろうとするなら、素人集団と批判されても我慢して試行錯誤を続けるべきだ」。加藤教授はこう警告している。(永井利治記者)


