旋風が過ぎ、高揚は重圧感に変わった。
「5万票差か。5万…」。福岡市中央区などの衆院選福岡2区で、小泉純一郎元首相の盟友、自民党前副総裁の山崎拓氏(72)に15万票を超えて大勝した民主党新人の稲富修二氏(39)は当選から2日たち、あいさつ回りやテレビ出演が一段落して笑顔よりこわばった表情を見せ始めた。
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福岡市に隣接する福岡県大野城市出身だが、東京の大手商社、神奈川の松下政経塾と地元とは疎遠だった。2005年衆院選は福岡市から50キロ離れた筑豊地区の福岡11区で立候補したが惨敗、07年県知事選では現職に45万票の差をつけられた。
「落下傘候補」の知名度不足を補おうと、公認決定から投票日までの1年9カ月で街頭演説は3600回、ミニ集会は100回を超えた。白いポロシャツ姿でこぐ自転車の走行距離が1日60キロを超えることもあった。
昨年10月、会社員の夫の転勤で福岡市に引っ越した赤木善美(あかぎ・よしみ)さん(37)は、かつて民主党国会議員秘書だった縁で、荷物も片付かないうちから稲富事務所を手伝った。「政治の現状を変えたい。そのためには稲富を絶


対当選させなければ」。6人しかいない専従スタッフの1人として団体窓口や地域担当を任され、稲富氏と早朝の街頭に立った。
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選挙戦が進み、民主党優位が報じられるにつれて声を掛ける人は増え、参加者ゼロもあった集会は席が足らなくなった。共同通信が実施した世論調査でも稲富氏への支持は日ごとに拡大。当日の出口調査では全年代、男女の区別なく稲富氏への支持が山崎氏を上回り、自民党支持層でも4割が稲富氏に投票していた。
それでも赤木さんは最後まで、20万人分の後援会名簿、100人のスタッフで組織選挙を展開した山崎氏に勝てる自信が持てなかったという。今でも「消去法で稲富や民主党に投票した人が多い」と本人への支持に加え、自民、公明両党への不満が押し上げた結果だったと考えている。
昨年9月、小沢一郎代表(当時)から直接、要請され立候補した。10月選挙と見た陣営は労組票を軸に、肝炎問題が取り上げられるたびに生じる「風」を利用すれば十分勝機があると読んだ。
長崎2区で自民党の久間章生元防衛相(68)を破った民主党新人、元薬害肝炎訴訟九州原告団長の福田衣里子氏(28)。選挙翌朝から街頭で、当選御礼に精を出す。
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ところが、衆院解散は延び延びとなる。陣営の労組関係者(52)は「本人もわれわれも政治は未経験、相手は当選9回の大臣経験者。風頼みでは厳しい状況だった」と振り返る。労組、勝手連的な市民グループなどに支援の輪は広がったが、束ねる人材はなく、後援会設立は6月だった。若者取り込みのため立ち上げたメールマガジンも、40~50代男性が主な購読層と目算が外れた。

エンジンが掛かり始めたのは7月。3月から途絶えていた総合選対会議が2回開かれ、8月4日に久間氏の地元・島原市で大集会を開くことを決めた。選対幹部の予想を上回る1500人以上が参加、後援会長の田島良昭(たしま・よしあき)さん(64)は「自民党に対する不満の表れ。保守地盤の島原でも地殻変動が起きている」と興奮を隠さなかった。
福田氏は選挙後「競争社会の中で心や命に立ち返る政治をしたい。党みんなで力を合わせ盛り上げてゆく」と行き過ぎた自由主義を見直し、巨大な民主党が空中分解しないよう努力する考えを示した。今回は与党批判票を集めての当選。次回は“受け皿”を卒業するとの決意に聞こえた。
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衆院選は民主党が308議席を得て大勝した。初の本格的な政権交代を生んだ背景には何があり、それは今後どうなってゆくのか。変わる「政治=政(まつりごと)」の足元を探る。 (中久木宏司、杉浦修共同通信記者)


