「これから完全な暗闇に入ります」。案内役のアテンドと呼ばれる視覚障害者の声に導かれ、白いつえを手にした8人の参加者がおずおずと進む。東京の神宮球場に近いビルの地下。暗闇の中で森、民家、食堂などいくつかの空間を約90分間で体験するイベント「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」(DID、暗闇の中の対話)のスタートだ。


DIDは1989年にドイツで始まり、世界25カ国、120都市で開催され600万人以上が体験。日本では99年から毎年、東京などで最長で3カ月間、開催され、5万人が体験した。今年3月から東京で、初めて通年での開設を始めた。
出発前のロビー。「携帯電話と時計は持ち込まないで下さい」と呼び掛けるだけで、パニックになる人がいるという。DIDジャパン代表の金井真介(かない・しんすけ)さん(47)は「携帯は日本人にとって、人とつながるためのお守りみたいなもの。持っていないと不安になる人がいる。それだけ人は孤立しているのです」と話す。
暗闇の中に入っていくと、木のにおい。足元ではサクサクとやわらかい感触がする。「落ち葉?」「そうみたい」と会話。「パイプがある!」「節があるから竹じゃない?」と対話。ぶつからないように互いに声を掛け、協力しながら暗闇を歩くうちに、見知らぬ人同士がうち解けてくる。
光がない世界では、立ち止まって声を出さないと人間の存在が消える。声の反響によって、物体の位置や空間の広さをなんとなく感じるようになる。だが、大きな騒音が響いているスペースに入ると、周りの様子が分からなくなった。
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終盤、テーブル席に座り、飲み物を注文すると、アテンドがグラスに注いでくれる。「どうしてこぼさずに注げるんですか」と驚きが質問になる。「音でどのくらい入ったか、分かります」と落ち着いた声がした。
光に目を慣らすために次第に明るい部屋に移り感想を述べ合う。「私、人見知りで、絶対に知らない人に声なんて掛けられないのに、ここでは自然に話ができました」と明るい声がした。「それに、みんな親切でうれしかった」と別の女性が言葉をつないだ。
アテンド歴10年の松村道生(まつむら・みちお)さん(33)はこう話す。「視覚を使えば瞬時に全体を把握し、互いの違いを見つけられる。現代は時間が重視されているので、視覚が優位になっているけど、想像し、深く感じ取るには、むしろ聴覚、触覚、嗅覚(きゅうかく)、味覚の方が適しています」
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最初、おっかなびっくりだった参加者が普通に歩けるようになっていく。「さまざまなことを感じながら、初対面の人同士が最後には仲間のようになって出てくる。変わっていく過程に立ち会えるのがうれしい」と松村さん。「DIDは視覚障害者でもできる仕事ではなく、視覚障害者だからできる仕事。すごくやりがいがあります」
多くの参加者を見てきた金井さんは現代人を「聞こえないふりをして、見ないようにして、考えないようにしている。五感を閉じて、辛うじて自分の命を保っている」と表現する。「視覚を手放すことで、閉じていた感覚が開き、本来持っていた感性と人とつながる力を取り戻せるのではないでしょうか」
人工的な暗闇を出ると、自分の中の枯れていた井戸に、再び水がわき出すのを感じた。(関矢充人共同通信記者)


