「山の仕事は一生なくならないから」。10代から働き続けた製造業を離れ、4月から埼玉県の秩父広域森林組合で作業員として働き始めた大塚康弘(おおつか・やすひろ)さん(34)=同県皆野町=は、転職の理由を振り返った。亡父の跡を継いだ町工場の経営に行き詰まり、大手企業で派遣労働者として働いたが契約は打ち切りに。「高校の林業科で学んだ経験を生かそう」と新たな道を選んだ。収入は半減したが、妻節子(せつこ)さん(29)は「今の生活の方が人間らし


い」と温かく見守る。
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ゲーム大手セガのテレビゲーム「ムシキング」が爆発的にヒットしたのは4年前。孫請けでゲーム機を製造していた大塚さんは、約30人の従業員とともに連日、残業を続けていた。
「将来は裕福な社長夫人だね」。このころ結婚した節子さんは、友人の祝福の言葉を今も鮮明に覚えている。
2006年10月、長男靖太(せいた)ちゃん(2)が生まれた。順風満帆にみえた生活は直後に暗転した。
はんだ付けが甘くショートする恐れのある不良品が市場に流れ、発注元が3百万円の損失を負った。厳しい納期に間に合わせようと無理を重ねた末の失敗。声を荒らげる発注元に頭を下げ続けたが契約は打ち切られ、発注元から借りていた工場も使えなくなった。
「主人の表情は暗くピリピリしていた」と節子さん。口数が減り、呼び掛けに応じないことも増えた。子供好きなのに靖太ちゃんを風呂に入れようともしなかったという。
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大塚さんは07年1月、取引をしていた派遣会社の仲介で、埼玉県秩父市のキヤノン電子の工場で働き始めた。将来的には同社と直接、請負契約を結び、会社の行き詰まりを打開するのが狙いだった。
立場こそ派遣だったが、工場での役割は120人をまとめるマネジャー。デジタルカメラのシャッターを作り続けた。キヤノン電子の親会社キヤノンは07年の連結決算で過去最
高益を記録。しかし不況のあおりで今年1月、派遣契約はあっけなく打ち切られた。
古くから養蚕が盛んで、戦後は織物工場が立ち並んだ秩父地方。高度成長期に多くは電子部品工場に姿を変えた。大塚さんの父が会社を興したのもこのころだ。
高校3年の秋に父が急死。大塚さんは印刷会社への内定を辞退し、母ひろ子さん(57)と二人三脚で、ゲーム機などの電子部品を小さな工場で作り続けてきた。仕事が取れず眠れない夜もあったが「父が残したものを失いたくなかった」と製造業にこだわり続けた。
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「製造業に未練はないと言えば、うそになる」と大塚さん。しかし派遣の仕事も失い、選んだのは林業だった。自宅の周りは見渡す限り山。身近に林業で生計を立てている先輩もいた。
林業を取り巻く環境は厳しい。森林組合の仕事の9割以上は国と県絡み。仕事は安定しているが、県発注の作業単価は10年前に比べ3割減少した。大塚さんの手取りの月給は約15万円。「収入は減ったけど以前のようなストレスはないみたい。動いて汗をかいて日焼けして…」と節子さんは話す。
新緑に包まれた秩父の山林で6月上旬、大塚さんは草刈り機で黙々と下草の手入れをしていた。「体はきついけど気持ちは楽。収入以上のものもあるのかなと思い始めた」。眼下には、キヤノン電子の工場がかすんで見えた。(浜谷栄彦共同通信記者)


