「こんにちは」の一言が出てこない。名古屋市中村区の名古屋中公共職業安定所の会議室。屋嘉比智孝(やかび・ともたか)さん(40)は昨年12月、お年寄りに扮(ふん)した介護労働専門官を相手に、人と接する“訓練”をしていた。「気持ちを込めて相手に伝えるように」。専門官の指導にも、表情は硬いまま会話は続かなかった。
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屋嘉比さんは沖縄県出身。約10年前、愛知県岡崎市の派遣会社に登録、ソニーの下請け工場を皮切りに、派遣社員として愛知、三重両県で自動車部品工場を渡り歩いた。
1日12時間の立ち仕事。1分以内にシートの部品をねじで留めたり、車体の型枠に部品を取り付ける。遅れれば次の工程に迷惑を掛けるため、全神経を集中させる。次第に手や足、腰に痛みが出てくるが、ラインを止めることは許されない。


「ラインで求められるのは数とスピードだけ。周囲は『派遣だから、流れてくるものをやればいい』という感じだった。何かをつくったという満足感はなかった」。昨年10月、「次の仕事はないよ」と派遣会社の担当者から告げられた。
製造業を中心に、労働者を集めてきた愛知県。昨年4月の有効求人倍率は1・78倍で全国トップだったが、今年4月は0・52倍と落ち込んだ。
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職安で勧められた介護業界。簡単な訓練や職場見学を経て、1月から名古屋市の特別養護老人ホーム「フラワー園」でヘルパーのパート職員として働き始めた。向き合うのはラインから「人」に変わった。
現在、軽度認知症で入所する約30人を同僚と手分けして介護している。朝昼晩の食事、週2回の入浴介助では、ずっとそばに付き添う。排せつの介助では個室を回り1日6回おむつを交換し、車いすを押してトイレに誘導する。
5月中旬のレクリエーションの時間。90代のおばあちゃんが折り紙で器用にかぶとを作る手に見入った。自分も作ろうとまねてみたが「なかなかできないですね」。「昔はよう作ったよ」とおばあちゃん。互いに笑い合った。笑顔を見ると心が前向きになり、少しずつ自然に話せるようになった。
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人手不足の介護業界。やりがいのある仕事のはずだが、
長時間勤務で体力が必要な上、賃金も安く、希望を持って入ったヘルパーが辞めていく。入職後1年未満で約4割が離職するという。
パートの屋嘉比さんは給料だけでは生活費が賄えず、派遣社員のときにためた約700万円から毎月数万円取り崩す。「人生の貯金みたいなもの」と言い聞かせているが、園の規定で3年間の実務経験後、介護福祉士の試験に合格しなければ、正規職員にはなれない。毎週土曜にヘルパー2級取得の講座に通う。
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屋嘉比さんの故郷、沖縄県の有効求人倍率は常に全国平均を大きく下回り、毎年1万人以上が県外に働きに出るという。
屋嘉比さんは祖父母、両親、6人の兄弟姉妹が一つ屋根の下に暮らす大家族で育った。両親が仕事で家を空けることが多く、いつもおばあ(祖母)のそばにいて、沖縄料理や農作業、囲碁など多くのことを教わった。「お年寄りは人生の先輩、自分が知らないことを知っていた。昔を思い出すことで、自分に向いている仕事が見つけられたと思う」
今年94歳になる祖母は沖縄県の老人ホームで暮らす。1月に電話で転職を伝えると、家族は「頑張れ」と励ましてくれた。目標は「沖縄に戻ってもやっていける技術を身に付ける」ことだ。(浅田隆一共同通信記者)


