インド最大の商業都市ムンバイで三月二十三日夜、世界の自動車業界が注目する新型車がお披露目した。民族資本の雄であるタタ自動車が開発した「ナノ」は、基本モデルの価格は十一万三千ルピー(約二十一万円)。ドアミラーは運転席側だけで、エアコンもない。
ニューデリー市内の自動車販売店には、ナノを展示した初日に約千人が詰め掛けた。不動産会社社長のアショク・サマさん(52)は「インドの会社が世界一安い車を開発したことを誇りに思う」と語った。
インドの自動車産業の新たな拠点となった南部のバンガロール。米国企業とインドの自動車部品メーカーの合弁会社「エムコン・テクノロジーズ」の工場では、多くの若者が働いている。
現地に進出したトヨタ自動車の指導を受けながら排気部品などを生産している。工程表が壁に張り出された光景は、日本国内のトヨタ系部品工場に似ている。
工場次長のバラジさん(39)は「かつては三日分の在庫を抱えていたが、いまは一日分で済んでいる」。在庫や不良品が減り、生産コストは大幅に圧縮した。


エムコン・テクノロジーズは西部の工場でナノの部品を製造している。「コストを極限まで抑え、小さな車体に合わせた部品をつくるのは大変だったが、やりがいがあった」とバラジさん。インドの自動車市場を一変させかねない超低価格車にも、目に見えないところで日本メーカーのノウハウが息づいている。
ニューデリーから約三百キロ離れたインド西部のマンサケリー村。土ぼこりが舞う狭い道に沿って、小さな家が点在している。人口の約80%が農民だ。
村の有力者(44)は「農業の機械化や農作物の値上がりで、村民の所得は二年前より25―50%上がった」と話す。テレビや二輪車を持つ村民も増えた。タタ自動車は農村を新たな市場とみてナノを売り出した。
ホンダは一年半ほど前から、農産物を売る農民が集まる日を選んで二輪車を持ち込み、即売会を開いている。一二五ccの二輪車の価格は九万円程度。インドの農村部には、娘が結婚する際に現金、家財道具などを持参させる習慣が残っており、そのために二輪車を買う親も少なくない。ホンダとインド企業の合弁会社ヒーロー・ホンダは「ナノはたしかに低価格だが、二輪車の需要も強い」とみている。
バンガロールのトヨタは、二〇〇七年八月から現地工場の近くに全寮制の学校を開いた。中学を卒業しても家計にゆとりがなく進学できない少年約百三十人が語学や塗装の技術などを学んでいる。学費は必要ない。
二年生のシャラト・プラモドくん(18)は、姉と弟がいる。「クルマに強い興味があった。将来はトヨタで働き、自分で家族を養いたい」。現地工場を指揮する中川宏(なかがわ・ひろし)さんは、生徒たちと会うたびに「このチャンスを生かしたいという気持ちをひしひしと感じる」という。


インドの自動車販売は昨年九月の米金融危機の直後は落ち込んだが、今年に入ると早くも回復してきた。インド住友商事社長の山口肇さんは「インド経済はもはや後戻りすることはない」と考えている。
タタ自動車をはじめとする国内勢と、海外勢が入り乱れて争う時代。十一億人の内需を乗せた巨象は、成長の階段を駆け上がろうとしている。(小林輝彦共同通信記者)


