統合失調症を患い、千葉県内の精神科クリニックに通う高橋美久(たかはし・みく)さん(27)の悩みは、次々と押し寄せてくるマイナスの思考だ。「悪口を言われている」「死んだ方がいい」…。デイケアや仕事に行こうとすると、どこからともなくやってきて、頭の中をかき回す。
「いつも先回りして迫ってくる、えたいの知れないもの」。そんな実感を向谷地宣明(むかいやち・のりあき)さん(25)に打ち明け、一緒に自分の症状の名前を考えてみた。出てきたのは、「おせっかいな門番さん」。
「面白いよね。門番ってことは高橋さんを守ろうとしてるわけでしょ。でもおせっかいなんだ」と向谷地さん。これまでただ「治す」対象だった症状と本人の間に豊かな物語性が宿り始める。その門番とどう仲良く付き合っていくか。二人の“研究”がスタートした。
精神障害を抱える人々の間で広がる「当事者研究」は、当事者自身が仲間や専門家らと一緒に、発症のメカニズムや対処法などを探る試み。その作業は主治医が付ける医学的病名ではなく、実感に沿った「自己病名」を付けることから始まる。
向谷地さんはそんな当事者研究の発祥地で生まれ育った。北海道浦河町にある精神障害者の活動拠点「浦河べてるの家」。約二十五年前、統合失調症などを抱えるメンバーとソーシャルワーカーの父生良(いくよし)さんが設立した。看護師の母もスタッフで、メンバーにおむつを替えてもらったり、一緒に遊ぶのが日常だった。
地域で暮らしながら、幻聴も妄想もその苦悩もありのままにワイワイと語り合い、仲間と共有するのがべてるの文化。「宇宙人を見た」というメンバーの妄想も「子どもだから信じてました。『すげぇ』って。学校の友達といるより、メンバーと遊んでいる方が楽しくて」。そこで、自然と身に付いた視座がある。
「病気がどうというより、いい人とか怖い人とか、その人が何者かという基準しかなかった。健常と異常の境目が分からない。それは実際、今もよく分からないんです」
病気って何だろう。そんな問いを抱えながら札幌と東京で高校、大学時代を過ごし、べてるメンバーと講演で全国を訪ねた。深刻だったのは、それぞれの症状よりも、地域で周囲に悩みを打ち明けられず、孤立する当事者と家族の姿。日本精神神経科診療所協会の推計では、各地で精神科に通いながらも、仕事や施設などとのつながりを持たない六十五歳未満の患者は約五十万人に上る。

大学卒業後、べてるの若いメンバーらと会社を立ち上げ、東京を拠点に当事者研究のワークショップを各地で主催するように。役割は「人と人をつなげること」だ。「自分の内側で苦しみ、家族としかコミュニケーションせずに息詰まっている人の前にヒョコヒョコ現れて、最初の『外部へのアクセス口』になる」
高橋さんも最近まで、リストカットや薬の大量摂取をしたり、家族と衝突することで自分を保ってきた。デイケア仲間や向谷地さんと研究することで「自分の助け方が少し上手にな
ったかな」。
生まれたころから向谷地さんを知る、浦河赤十字病院の川村敏明(かわむら・としあき)精神神経科部長は「医療がまねできない確かなものを彼は見ている。絶望の世界の可能性という宝を伝えられる人です」と話す。
当事者研究は今、発達障害や薬物依存などを抱える人たちにも広がりつつある。さまざまな生きづらさが漂流する場に赴き、向谷地さんはそっと呼び掛ける。「一人じゃないよ」と。(多比良孝司共同通信記者)


