「何か文句があります」。日本最大規模の医療被害者団体「医療過誤原告の会」会長の宮脇正和(みやわき・まさかず)さん(59)はその一言が今も忘れられない。1983年、次女=当時(2)=を亡くした宮脇さんに医師が発した言葉だ。
それから四半世紀。緩やかながらも着実に改善されてきた患者、中でも医療被害者やその家族の権利をめぐる現状は、再び厳しさを増している。
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83年2月、宮脇さんの次女は軽い肺炎と診断され入院した。しかし、わずか6時間半後に死亡。「なぜ、娘は死ななければならなかったのか?」。何度尋ねても、担当医師からは納得いく説明が得られない。それどころか、「あなたがきちんと面倒を見ていないからこうなった」などの言葉を浴びせかけられた。
真実を知りたい。その思いで85年に起こした訴訟は8年後に病院側が謝罪し、和解が成立。だが、宮脇さんはそれまでにも増して精力的に活動した。「医師や医療界の意識を変えないと娘のような被害者はなくせない」。そう痛感したからだ。
91年の設立時から参加する原告の会で医療被害者を支


援。90年には患者中心の医療を実現させるため、勤めていた企業を退職して医療生協の職員となり、診療所を開設した。宮脇さんたちの地道な活動で、医療被害者への理解は広まり、権利意識も高まった。医療過誤訴訟の提訴数は年々、増加。協力してくれる医師も現れた。
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そして、99年。患者の取り違えや消毒薬の誤注入…。高度医療を提供するはずの大学病院などで起きた医療事故が次々判明し、医療への不信感が一気に噴出した。それに呼応するように、医療過誤訴訟の勝訴率も上昇し、2000年には過去最高の46・9%を記録した。「勝訴率8割超の一般の民事訴訟には及ばないが、以前は10%程度だったことを思うと画期的だった」と宮脇さん。
ようやく、差し始めたかに思えた光。だが06年、福島県立大野病院の医師が業務上過失致死などの疑いで逮捕(後に無罪確定)されると状況は一変する。宮脇さんは「患者側の権利が強まることに不満を持っていた一部の医師からの反撃が始まった」と振り返る。
その多くは医療被害者が医療崩壊を招いたとする批判だが、宮脇さんによると根拠がないものばかり。同様の主張をする著名な医師は根拠として「私がそう感じているから」と答
えたという。
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加えて、インターネット上で匿名で行う医療被害者への誹謗(ひぼう)中傷も。07年には、奈良県の妊婦が計19の病院に転院を拒否された事件に関し、悪質な書き込みをした横浜市の医師が、侮辱罪で科料の略式命令を受けた。
「誤った認識が常識になりつつあるのが怖い」と宮脇さん。原告の会の調査では、医療崩壊を招くとして訴えを退ける判決も珍しくなくなっており、昨年の医療過誤訴訟の勝訴率は26・7%にまで落ち込んだ。
医療事故の原因を調査する第三者機関をつくる動きも、足踏みしている。医療被害者団体と日本医師会などの間で基本合意していた「医療安全調査委員会(仮称)」が、病院による調査を優先するべきとする民主党が政権を取り、先行きが不透明に。
「医療被害者への逆風が再び吹き荒れている」。だが宮脇さんは希望を捨てない。「医師も患者になる。良い医療をつくることは国民全体の利益になる」から。そんな宮脇さんの思いを受け止めてきた長女は看護師、長男は医学生と、それぞれ医療の道を歩んでいる。(榎並秀嗣共同通信記者)


