瀬戸内海に面した広島県福山市鞆(とも)町の美しい半円形の入り江、鞆の浦。住民らの「景観利益」を認めた上、風景は「国民の財産とも言うべき公益」として、県と市の埋め立て架橋計画にストップをかけた10月の広島地裁判決で一躍、全国の注目を浴びるようになった。
「裁判という方法は不本意だったが、鞆を知ってもらえたことはよかった」―。観光客が行き交う路地の一角で造り酒屋を営む岡本純夫(おかもと・すみお)さん(58)は原告の一人。「ここまで完全勝訴するとは」と、提訴から2年半かけて勝ち取った判決の衝撃を忘れない。
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岡本さんは、生薬を使った江戸時代以来の特産品「保命酒(ほうめいしゅ)」を造る老舗に生まれた。大学卒業後、大手ゼネコンに就職。広島県や山口県で道路やトンネルを数年間にわたり造った。父親が体調を崩し、地元に戻った。
縄文遺跡、万葉集の歌、朝鮮通信使や坂本竜馬の足跡…。町を出るまで当たり前だと思っていた古いものに価値を感じるようになった。8年前、江戸時代の古民家を修復し店舗に。港のシンボルである「常夜灯」の後ろに車が行き交う橋を架ける計画への反対運動に参加したのはそのころだ。


「鞆の魅力は、歴史の重みが生活の場にあること」と岡本さんは話す。「日本人は何もかも捨てすぎた。“体”ばかり重視していた考え方を“心”に変える転機では」と判決の重みを語る。
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景観保全を理由に裁判所が公共事業を差し止めたのは今回が全国初。「時代も進むんだな」。20年前、和歌山市の景勝地、和歌浦(わかのうら)に和歌山県が渋滞緩和のための橋を架けることに反対し、住民の一人として提訴した和歌山大准教授の米田頼司(よねだ・よりつぐ)さん(59)は、判決を自分のことのように喜ぶ。
米田さんら住民は良好な生活空間を享受する環境権の一つとして「景観権」を主張。さらに万葉集にもうたわれた古代からの風景には「歴史的景観権」があると主張したが、1994年に和歌山地裁は「法律上の具体的権利と認めることはできない」と退けた。しかし「単純な敗北ではない」と米田さんは語る。県は計画にあった干潟の埋め立てを中止するなど裁判を機に、従来の方針を変えたという。
そして2002年、東京都国立市のマンション建設をめぐり、


東京地裁は街並みの景観を守る必要性を認め、高さ20メートル以上の部分の撤去を命じた。高裁、最高裁で住民側は敗訴したが、良好な景観の恩恵を受ける「景観利益」が法的保護の対象であることを最高裁は認めた。鞆の浦の判決は、このような流れの中で生まれた。
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景観とは「単なる景色ではなく、人が歴史的に積み上げてきたもの。住民は守っていく義務、責任を負っている」と国立訴訟に深くかかわり、国立市長も務めた上原公子(うえはら・ひろこ)さん(60)は強調する。
一方で、鞆の浦に架橋を求めてきた町内会長の大浜憲司(おおはま・けんじ)さん(62)が「景観が重視されるのはいいが、人が住まない町で景観が残っても何の意味もない。消防車や救急車の通行にも支障があり、何か手を打たないと」と語るように、住民の暮らしとの共生も課題だ。
景観権論争の先駆けとなった和歌浦訴訟の経験を基に、米田さんは鞆の浦の埋め立て架橋計画を行政が抜本的に見直すことを期待する。「広島県や福山市は景観を活用したまちづくりの先進自治体になれるはずです」
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社会の変化とともに“発明”されてきたさまざまな権利。「公」と「私」がせめぎ合う現場に、変容し、発生しつつある権利の姿を見た。(徳永太郎共同通信記者)


