長崎・佐世保港からフェリーで3時間、豊かな自然に恵まれた五島列島の小値賀(おぢか)島。夕方になれば、おばあさんらが家々からさおを手に港へ集まり、アジを釣っておかずにする。自給自足の生活スタイルが生きる島で、朽ちかけた古民家を体験型観光の拠点として再生させる事業が始まった。過疎に悩む離島を、生き返らせる挑戦でもある。
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17世紀から捕鯨を始め、関西への海産物出荷で隆盛を極めた島には江戸時代以来の古民家が100棟余り残る。幕末に建った網元「藤松家」屋敷は延べ床面積約458平方メートル。黒光りする太さ50センチもの梁(はり)が走り、曲がりくねる松材の力強い骨組みが見る者を圧倒する。
キョウチクトウやツバキが茂る庭から小道を進むとはるか昔、遣唐使船や中国の貿易船が行き交った湾が広がる。小さな波止場でさざ波がやわらかな音を立てていた。
「なんて神秘的なんだ」。米国出身の東洋文化研究家、アレックス・カーさんは初めて訪れた時、驚嘆の声を漏らしたという。京都の町屋再生を成功させ、今回の事業をプロデュースする。


「昔の間取りを大事にしながら、空調や水回りを整備し、快適に過ごせるようにしたい」
土間や吹き抜け、梁をそのまま生かし、1階がレストラン、2階はバーに。イメージを具体化する建築士黒木裕行(くろき・ひろゆき)さんは「150年以上も前に、洗練されたデザインが施されている。小細工はいらない」と話す。代官屋敷など3棟の古民家も滞在施設に造り替え、来年7月にも営業を始める。
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「手をこまねいていたら無人島になる。なんとかしないと」。町とともに事業を進める小値賀観光まちづくり公社の専務高砂樹史(たかさご・たつし)さん(43)は危機感を訴える。漁業の不振などで過疎化が進行、最大約1万2千人いた人口は4分の1に激減した。
観光を新たな産業に育てようと、農家や漁師の家にホームステイし、収穫や水揚げを体験する「民泊」を2005年に本格的に始めた。シーカヤックや郷土料理作りなどプログラムを充実させ、修学旅行生らを中心に08年の宿泊者数は従来の2倍の約1万人に上った。
しかし、大人の個人旅行客は伸び悩む。高砂さんは「民泊は、プライバシーが十分に守られないのが限界だった。古民家に滞在してもらえば、大人が求めるくつろぎも得られる」と話す。
成功を疑問視する声も島民にはある。しかし、カーさんは「ここまで不便で何もない田舎には大きな冒険だが、地中海でも東南アジアでも、成功例がある。日本では誰も試みたことがなかったというだけだ」と言う。
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島は10月9日から約2週間も続く秋祭りを迎えた。日替わりで地区ごとにごちそうを振る舞う「お呼ばれ」が習わしで、

「飲みっ放しで胃薬が必要」と言われるほどだ。
島の中央部、中村地区の元郵便局員増元輝利(ますもと・てるとし)さん(66)宅でも、サバやヒラマサの押しずしや刺し身が食卓にあふれるほど並んだ。島内であった国際音楽祭の出演者や近所の学校の先生が次々に来て、酒を酌み交わす。
妻の洋子(ようこ)さん(65)が「どんな仕事、どんな学歴も関係ない。和気あいあい、無礼講が楽しい」と顔をほころばせた。
漁業の繁栄で人が押し寄せた歴史を持つ島には、今も外からの客をもてなす気風が残る。「海は何の隔てもなく世界とつながっている。穏やかでオープンな人々が島の魅力だ」とカーさん。高砂さんは「人を感動させられるのはやはり人だ。古民家での滞在が、その土台になる」と話している。(若松亮太共同通信記者)


