大転換 第1部 世界が変わる6

 二〇〇八年十二月のある日、フランス国立リヨン歌劇場の地階のリハーサル室。首席指揮者の大野和士(おおの・かずし)さん(48)を前に、合唱団のメンバーたちの表情が引き締まった。さまざまな国籍の移民が住むこの街で、日本の“サムライ”は欧州連合(EU)の多様性を象徴するようなオペラ公演を、世界に向けて発信しようとしていた。 

 演目は現代ロシア音楽の作曲家プロコフィエフのオペラ「賭博師」。大野さんの指示はフランス語だが、ウクライナ出身の助手とともにロシア語の発声指導も行う。 

 大野さんが英仏独伊の四カ国語の使い手になったのは二十六歳、ドイツのバイエルン州立歌劇場に留学してから。当たり前のように多言語を操る欧州の指揮者の中で生き抜くためだった。そんな彼にチャンスが訪れる。一九八八年に旧ユーゴスラビアのザグレブ・フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者、その後音楽監督に選ばれた。 

 しかし九一年にユーゴは内戦に突入。空襲警報が鳴り響く街で、演奏会を続けたところ、平和な時代を上回る観客が詰め掛けた。戦禍に不安を抱えた市民が求めたのは音楽だった。だが民族主義は戦争の原因になり、人々を抑圧する。 

 「違うものを受け入れることによって、次が生まれるというのが文化の原則。文化的であるとは、多様性を認めることです」 

 EUは、文化の多様性の保護と促進を基本原則とする。二〇〇二年、その“首都”ブリュッセルに大野さんはいた。ベルギー王立歌劇場の音楽監督に就任したのだ。同劇場は、三

EUの多様性を音楽に

日本人指揮者の実験

オペラ公演のリハーサルを終えた大野和士さん(右)と、フランスを代表するダンスグループに成長した「ポッケモンクルー」=08年12月、フランス国立リヨン歌劇場(共同)

十カ国以上のスタッフが働き、観客も多国籍。まさにEUの多様性を芸術で体現するような場所だった。 

 「今や一国、あるいはEUの域内だけで芸術をする時代ではない。私たちはもっと他文化を学ばなければならない」と語る同劇場前支配人のベルナル・フォクロルさんが、EUを代表するこの劇場に大野さんを招いた。 

 「オオノ・カズシはたくさんの言葉を理解し、欧州の文化と心を知っている。多様性の中に人類の希望を見いだすための仕事を、アジア人である彼に託したのです」 

 そして、サムライに託された多様性の実験は〇八年、フランス南東部のリヨンに場を移す。戦後、北アフリカの旧フランス植民地などから多くの移民を迎えた多民族都市。住民の所得格差も大きい。この街のリヨン歌劇場首席指揮者が、

大野さんの現在の仕事だ。 

 アラブ音楽の催しを開けばスカーフをかぶったイスラムの女性が行き交い、ヒップホップダンスのイベントを行えばジーンズ姿の若者が集う。日本のアニメの名にちなんだ「ポッケモンクルー」は劇場を拠点として、フランスを代表するダンスグループに成長した。 

 EU首脳会議は〇八年十月、移民規制を強化する協定を承認。流入する移民に対する反発はEU域内で今も根強い。だが、異種の存在に寛容であろうとする欧州文化に鍛えられた大野さんの実験は終わらない。 

 その視線は深刻な雇用不安に襲われ、芸術から疎外された日本の人々にも向けられる。「他者を認めることで文化は生まれる。音楽を限られた一部でなく、あらゆる人に届けたい」。ホームレス、ワーキングプア…。多様な層に向けた無料コンサートを、日本で開くことを夢見ている。(高橋夕季共同通信記者)

twitterにこのエントリを登録
コメント (0)

第1部 世界が変わる
第2部 生き方が変わる
第3部 日本人が変わる
第4部 資本主義が変わる
第5部 老いが変わる
第6部 働き方が変わる
①迷走する金融資本主義 ①見えてきた「生存」 ①ペンキ塗りの技伝える ①通貨暴落、住宅ローン倍に ①97歳の「出張授業」 ①海に生きる
②オバマに託す夢 ②「貧乏」を逆手に ②安い労働力、国外に求め ②「反資本主義」広がる支持 ②ボランティアで症状緩和 ②半農半X
③変革の裏側で ③女たちのルネサンス ③銀座に香港の「寿司王」 ③モノあふれ、価値観激変 ③バリアだらけで自立促す ③障害者の就労
④過熱した美術市場 ④「障害」を見つめる ④国籍捨て政治家目指す ④低価格車に誇り抱く ④ふれあう「命」支える ④派遣を超える
⑤砂漠の技術者 ⑤農村が都会動かす ⑤言葉の壁越え高校合格 ⑤大学起点に企業集団 ⑤技術が補う身体機能 ⑤面白法人でいく
⑥サムライ流多元主義 ⑥リアルを求めて ⑥ニューカマーが示す未来 ⑥目標捨てず、驚異の回復 ⑥山に生きる
⑦気付けば少数“先住民”
第7部 食が変わる
第8部 感覚が変わる
第9部 まつりごとが変わる
第10部 リサイクルが変わる
第11部 恋愛が変わる
第12部 権利が変わる
①中国ネット企業が養豚参入 ①体験と結び付き記憶に ①旋風過ぎ、残る重圧感 ①下水道から黄金取り出せ ①おせっかいかもしれないが ①裁判が認めた風景の価値
②資源も収入も減る一方 ②体震わす文脈なき歌詞 ②ネット選挙“加速”へ ②バイオ燃料、起点に循環 ②トラブル避けて出会い模索 ②納得して死んでいきたい
③「いただく」を実感 ③体との境界あいまいに ③投票率上がれ、学生奮起 ③鉱山技術で資源回収 ③わが子思い仲介に奔走 ③機関投資家の責任重く
④実態伝えぬ自給率 ④心の在りかの謎が再燃 ④初めて棄権、次は民主も ④大打撃の中古車ビジネス ④「光の出会い」幸せつかむ ④国際化の波、家族観にも
⑤捨てない努力が根付く ⑤想像し、深く感じ取る ⑤共感力失い政権転落 ⑤古民家を離島体験の拠点に ⑤彼女は画面に映るキャラ ⑤吹き荒れる逆風、でも…
⑥1日300錠の“食事” ⑥本をちゃんと届けたい ⑥性を超え、結婚を超えて ⑥“自主カメラ”急増中
⑦栄養の謎に挑む研究者 ⑦長距離ドライブを相乗り