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【第19回】生きる楽しさ知って

障害者自立生活を追求 「親の愛」時に足かせ

講演する小山内美智子さん。「障害がある私の存在を決して隠そうとしなかった」と亡き母の思い出も語った=札幌市中央区(撮影・武居雅紀)講演する小山内美智子さん。「障害がある私の存在を決して隠そうとしなかった」と亡き母の思い出も語った=札幌市中央区(撮影・武居雅紀)

 白のジャケットを着て、耳には真珠のピアス。3月5日、JR札幌駅近くの講演会会場に車いすで入った小山内美智子(おさない・みちこ)さん(63)は穏やかに聴衆にほほ笑みかけた。
 「たまに相手を怒らせたり、ほめたり。社会を変えるための駆け引きは恋愛のテクニックと同じ」。脳性まひがあり、障害者の自立生活運動に奔走してきた。でも、その語り口は柔らかい。言語障害はそれほど重くないが、理解の助けになればとスタッフがパソコンで文字にし、スクリーンに映し出す。小山内さんが自分で決めたことだ。
 「手を使えない、歩けないとはどういうことか。当事者にしか分からない思いを伝えたい」
 

▽足指で料理



 1960年代以降、重度障害者向けの大規模な入所施設が各地に建設されていった。北海道でも計画が進む中、小山内さんは77年に札幌いちご会を仲間と結成。個室化を求め、実現させる。
 だが、小山内さんは入所しなかった。脱施設の理念が息づくスウェーデンを訪ねたことで刺激を受け、父が所有するアパートを借り80年に1人暮らしを始めたのだ。
 当時27歳。公的なサポートはほとんどなく、不自由な両手の代わりに足指で料理し、身の回りのこともなるべく自分でやった。入浴などは介助が必要で、主婦や学生らボランティアが頼みの綱だった。行政との交渉の合間に絵を描いたり、散歩したり。恋も経験し「生きる楽しさを知った」。
 この頃はまだ、重い障害がある人の多くが、親元か施設で生活するしかなかった。そんな社会を変えたい。暮らしぶりを見せようと新聞やテレビの取材を次々と受けた。障害者が見学に来ると「あなたにもできるんじゃない?」と問い掛けた。
 社会への完全参加と平等をうたった81年の国際障害者年を契機に自立生活は徐々に広がり、90年代にかけて大きな流れとなる。誰もが分け隔てなく、個人として尊重される社会を目指す動きだ。時代の転換点にいた小山内さんは、自らの行動を通じ「街で生きたい」とアピールした。
 私生活では84年にボランティアの男性と結婚。翌年に長男が生まれ、子育ての喜びも味わった。
 

▽助言青年、家庭持つ


丸山武さんと妻の恵美さん。武さんは「小山内さんとの文通がなかったら、ここまで来られなかった」と振り返る=東京都八王子市(撮影・若林久展)

 「しょうゆと砂糖、ごま油に七味も」。4月下旬の日曜日。札幌市西区の自宅マンションで、小山内さんは夕食に使うつゆ作りを女性ヘルパーに指示した。障害者総合支援法に基づき、11人のヘルパーが交代で付き、介助時間は月450時間。
 自治体間の格差やマンパワー不足など課題も多いが、制度は整ってきた。重い障害があっても自立を望み、行動に移した当事者の闘いの成果だ。
 いちご会は89年以降、ヘルパー派遣や買い物時の移送サービスなど自立支援事業を展開した。
 ある日、栃木県の脳性まひの青年から小山内さんに手紙が届いた。親元で不自由なく暮らしながら拭えぬ物足りなさ。自分の力で人生を切り開きたいとの欲求。心情が切々とつづられていた。
 文通が始まった。初めて介助者なしで出掛けた野球観戦。頼る人のないことが「何かうれしい」と書いた青年は小山内さんに励まされながら時間をかけて両親を説得、27歳の時に東京で暮らし始めた。「自立したら欲が出てきました。自分の家庭をつくりたい」とも。
 その青年、丸山武(まるやま・たけし)さんは現在52歳。妻恵美(めぐみ)さん(48)と東京都八王子市の団地で暮らし、障害者宅にヘルパーを派遣する事業所を切り盛りする。
 「妻と知り合ったのは…」。思い出話をひとしきり。言語障害のため聞き返されると、何度でも繰り返す。若い世代へのエールも。「やりたいことがあると自立の力になる。仕事でも遊びでも、結婚でも」。意欲を持って生きてほしいと願う。
 

▽祈りの言葉

 平日の午後、脳性まひの40代男性がいちご会を訪れた。施設を出て9年。小山内さんと以前から交流があり、人間関係の悩みを話したいという。
 「気付かないうちに相手を傷つけてしまう」
 「人間同士、お互いさまでないの?」
 相談は1時間以上続いた。男性は小雨の中、車いすをすいすいと走らせ帰っていく。「幸せになって。それがあなたの仕事」。帰り際に声を掛けた小山内さんは、後ろ姿をずっと見送っていた。
 相談では、施設を出るのに親の許可が必要と言われた男性の知人の話も。「親は駄目の一点張り。どうしたらいいか」。答えは見つからない。
 親の愛は時に、自立生活に踏み出そうとする障害者の足かせになる。守りたい一心で「できるわけない」と反対する。私も親だから分かると小山内さんは言う。でも―。
 「どうかわが子に冒険させてほしい。遠くから見守り、失敗したら助け、また手を離してあげて」。その言葉は、どこか祈りのようだった。(共同=若林久展)

権利条約に尊厳や包容 法整備、提訴で制度変更も

提訴のため、東京地裁に向かう障害者自立支援法違憲訴訟の原告ら。この日は大阪など7地裁でも、同様の訴訟が起こされた=2008年10月31日
 国連総会で2006年に採択された障害者権利条約は障害者の尊厳、個人の自律と自立の尊重、差別禁止や合理的配慮、社会への完全参加と包容などを定めている。  日本は締結に向け、11年成立の改正障害者基本法に「全ての国民が障害の有無にかかわらず、かけがえのない個人として尊重される」と理念を明記。障害者総合支援法や障害者差別解消法を整備するなどして、14年に条約を締結した。  一方、条約が採択された06年に施行の障害者自立支援法で障害福祉サービスの利用が原則1割負担となり、各地の障害者は生存権を保障する憲法に違反するとして、国や地方自治体に負担免除などを求め、全国14地裁に相次いで提訴した。  国は民主党政権下の10年に「拙速な制度の施行で障害者の尊厳を深く傷つけた」と過ちを認め、原告と和解。負担制度を変更した。