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(3)「DJ保護司」

全身で愛し励まし続ける 少年院に贈るDJ番組

少年院に届けるDJ番組を収録する大沼えり子さん。はつらつとした声、優しい声、温かい声、いろんな声が流れだす少年院に届けるDJ番組を収録する大沼えり子さん。はつらつとした声、優しい声、温かい声、いろんな声が流れだす

 保護司を出発点に、DJとして15年間、少年院に音楽番組を届ける宮城県名取市の大沼えり子さん。2011年には、帰る家のない子どもたちの自立を助ける少年の家「ロージーハウス」も開設、社会から排除されかけた少年たちを全身で愛し、励まし続けている。そのエネルギーはどこから来るのか。

 ▽茶封筒

 

 学生時代からテレビやラジオでタレントやDJとして活躍したが、25歳の時、劇症肝炎で生死の境をさまよう。東京から宮城に帰り、28歳で料亭に嫁いで若おかみとして働き、2児を育てた。傍らコミュニティーFMでDJをしていた01年11月、保護司の委嘱を受ける。

 翌月、少年院を参観した。「すれた、いかつい、生意気な少年たちを想像していた」が、違った。廊下で擦れ違った少年から「こんにちは!」とあいさつされる。「くりくりの丸刈り、見事な気をつけの姿勢で、真っすぐに私を見ていた。悲しいほどに透き通った目で、はにかむような笑みを浮かべていました」

 参観から帰り、DJの収録へ。12月だったのでクリスマスソング特集だった。最後の曲「アメージング・グレース」を聞き終えた瞬間、心が決まった。「あの子たちにラジオ番組を贈りたい」

 行動は早い。その場でスタッフに提案し、翌日、少年院に出かけて了解を得る。少年たちの自筆のリクエストや詩、作文を送ってもらい、番組で読んだ。最後はやはり「アメージング・グレース」。

 大みそかに大きな茶封筒で少年たちの感想が届く。読んでいるうちに涙で文字がかすんだ。「お金では買えないプレゼントがあると知りました」「愛を感じました」。更生の誓いや、番組を続けてほしいという願いがつづられていた。

 ▽SOS

 

 保護司としては型破りだ。功成り名遂げた人が少年院や刑務所を出た人に道を説く。そんなイメージとは程遠い。

 リンチを受けて傷ついた少年から電話があれば、真夜中の公園でも駆け付けて助け出す。「俺、もう駄目だ。今から死ぬ」とSOSが入れば、家に飛び込み、刃物を蹴り上げて奪い取る。弾みで腕に切り傷を負ったこともある。経歴を理由に少年が賃金差別を受けると、就労先に怒鳴り込んだ。

 少年たちとはソフトクリームを食べて打ち解け、それを「エリコマジック」と呼ぶ。別れ際には必ず「大好きだから」。

 そんな大沼さんでも「何の進展もなかった」と感じた少年がいた。だが、保護観察が終わって3年後、玄関のチャイムが鳴る。「桜咲いたから来た。約束を守りに…」。住み込みで働き始めたとき、荷物の中に見つけた大沼さんの手紙に「来年の桜は一緒に見よう」と書いてあったのだ。

 彼は「プレゼント」を見せる。高校の卒業証書だった。今は百貨店に勤めているという。

 彼は母の顔を知らない。父親の金を盗んで母を捜しに出たこともあった。「あとはお母さんに会えたらいいね。こんな立派な姿を見たら鼻高々だね」と大沼さん。青年が答える。「俺には先生いっからいいんだ。だからさ、長生きしてくれよ。やせっこけて、さっぱりふとんねーじゃねえか。無理ばっかして大丈夫かって心配してんのはこっちなんだって」

笑ったことなかった 働いて届いた感謝の手紙 

 大沼えり子さんの「ロージーハウス」は明るく温かい。19歳のときハウスで生活した青年(22)が夕方、訪ねてきた。こたつを囲み、お菓子とお茶で話が弾む。

 彼は幼いとき両親が離婚、父に引き取られたが、父と一緒に暮らすようになった女性から虐待を受け続けた。足の甲には直径2センチ近くのやけどの痕が幾つも。「機嫌が良くないとき、たばこを2、3本いっぺんにぎゅっと押し付けられた」

 19歳の冬に家出、2カ月後、民家に忍び込み、冷蔵庫をあさっているところを逮捕された。少年鑑別所からハウスへ。

 「ずっと笑ったことがなかったんで、初めは戸惑いました。ハウスでは笑いが絶えない。えり子さんには、笑うとき顔が引きつっていると言われた。いっぱい笑ったら顔が痛かったです」

ロージーハウスを〝卒業〟した青年と大沼えり子さん。順調な仕事ぶりを聞いて笑みがこぼれる=宮城県名取市のロージーハウスロージーハウスを〝卒業〟した青年と大沼えり子さん。順調な仕事ぶりを聞いて笑みがこぼれる=宮城県名取市のロージーハウス

 ハウスでは働いて自立のための資金をためる。人と話さなくて済む仕事を望んだが、大沼さんが紹介してくれたのは市の公園管理の補助だった。

 「不安な気持ちでいたら、えり子さんに『君ならできる』と言われた。それがうれしかった。ずっと、おまえじゃできない、おまえじゃできないって否定されてきたから」。そうして始めた仕事はもうすぐ3年になる。

 朝は定時より早く出勤し、公園のごみを拾う。通る人に「おはようございます」とあいさつする。大沼さんの教えだ。

 最近、公園の利用者から市役所に感謝の手紙が来た。大沼さんが喜びをこう表現した。「ここに来る子は私の子どもです。子どもが悲しいと何倍も私が悲しい。子どもが虐げられていると、本人たちが大丈夫と言っても、心が痛む。手紙をいただいたとき、たぶん彼の何十倍もうれしかった」

家族の待つ家

 ある日、少年院の少年から大沼えり子さんに手紙が届いた。以前の自分の夢は暴力団の組長になることだったが、DJ放送を聞くうち「自分は一人ではない」と思うようになった。そして自分のような少年が過ちを犯さないよう、教師になろうと思うと書かれていた。彼には身寄りがなく、仮退院の時期を1年近く過ぎても少年院にいた。大沼さんは決心する。「彼らの人生を取り返すための家族、血のつながりよりも強い心を結ぶ家に、彼らを迎えてあげたい」。それがロージーハウスとなった。

笑顔に会いたい

 保護司は非常勤の国家公務員だが、実質は無償のボランティアとして活動する。少年院や刑務所を出た人と定期的に面接して生活指導し、住居や就職の面倒も見る。全国約4万8千人のうち女性は26%。保護司の条件として法には「人格および行動について、社会的信望を有する」などとあるが、大沼えり子さんは「私は失格かな」と笑う。定期的な面接どころか、必要なら月に10回でも20回でも会う。危険も顧みない。「子どもたちの笑顔に会いたい。それが私の本能なんです」
(文と写真、共同通信編集委員・佐々木央)=2017年2月配信