原子力は「怪物」  市民が科学技術選択を 対米関係の代償払う日本

 イタリア人政治哲学者のアントニオ・ネグリ氏(78)は冷戦後のグローバル化した世界の覇権を描いたベストセラー「帝国」で知られる。ネグリ氏は福島第1原発の事故を米中枢同時テロ(9・11)から続く「21世紀の悲惨な悲劇」と位置付け、原子力は単なる産業システムではなく、国家中枢の政治システムに巣くう「怪物」であり、市民は科学技術選択の力を持つべきだと指摘した。

原子力国家

●9・11、リーマン・ショック、そして東日本大震災と世界史的な事件が多発しています。

 「今世紀は最初からひどい事件が起きています。9・11は西洋に対する強い反発は西洋文明の力では克服できないことを分からせた。リーマン・ショックは新自由主義体制の下で経済・財政の腐敗がいかに根深いかを証明した」
 「東日本大震災は自然を克服する努力には限界があり、20世紀後半からつくられた『原子力国家』は幻想だったことを証明した。原子力の危険は発電所の事故だけではない。国家はその権力を永続させるために原発の絶対的な安全性を保証しなければならず、結果的に原子力に国家体制をささげることになる。原子力は国家の形を変える一種の怪物になった」
 「原子力の危機は新自由主義的な政治システムの中にあり、今後も続くと思う。例えばフランスでは原子力産業は政府と結び付き、脱原発は非常に難しい。原子力は経済全体に結び付いており、原子力を抱える限り、経済危機脱却も難しい」

 ネグリ氏は行動派知識人だ。早くから共産主義運動に身を投じ、モロ元イタリア首相暗殺などテログループ「赤い旅団」の思想的リーダーとされ、逮捕・起訴された。だが、獄中からイタリア議会選に立候補し当選。その後フランスに亡命し、フランスで研究活動を続けた。1997年に刑期を務めるために自主的に帰国し収監された後、2003年4月に釈放された。

 「私は第2次世界大戦の終戦の時には12歳だったから、戦争の記憶がある。

あの戦争では二つの恐ろしいことが起きた。一つはユダヤ人虐殺です。もう一つは広島、長崎だ。この二つはかつてはコインの表裏だった。この記憶をもう一度取り戻す必要がある。なぜなら二つとも恐ろしい技術の力で行使されたのだ」

●欧州では脱原発を決めた国とそうでない国があります。

 「原子力から脱却する必要がある。ドイツは環境派が脱原発で力を合わせ、産業資本と密接な関係にある組合やカトリック教会も合流した。ドイツは世界の経済大国で、小国ではない。その国の決定だから、脱原発は現実性があると見るべきだ。核廃棄物問題が解決できない以上、歴史はドイツの道を歩むと思う」

多極化の世界

●新自由主義は一時ほど影響力はなくなったが、現状をどう見るか。

 「米国の覇権と新自由主義の行方は議論の対象だ。新自由主義は矛盾をはらんでいる。一方で社会と市場の自由化を促しながら、一方で国家を巨大化する。原子力国家もその一例だ。米国の覇権は今深刻な危機にある。リーマン・ショック前後から、世界は米国の指令から独立し多極化に動いている。中南米はかつては完全に米国に従属していたが、今は米国の敵ではないものの、これまでより独立している。中国、インドもそれぞれ拠点となっている。米国の覇権の衰退に加速がかかっていると言える」
 「世界のシステムを民主化できなかったオバマ大統領には失望した。それだけ軍事産業ロビーが完全に国家構造の中に入り込み、軍事産業から脱することは不可能だ。原子力が巣くった時と同じように国家システムが硬直している」

●日本では大震災での米軍の協力を機に対米関係の強化の動きがある。

 「同じ敗戦国でもドイツは欧州に依存することで米国からの独立性維持に努めたが、日本はそうしなかった。日本の両側に米国と中国という二大国があるが、米国との関係を戦後ずっと優先してきたため、その代償を今払っていると思う」

良い近代化

 グローバルな権力に対するものとしてマルチチュード(多数派市民)を位置付けるネグリ氏は、市民の自立運動を推奨する。そして近代化や科学技術の完全否定は拒否する。先端医療など「恩恵をもたらす近代化」と広島、長崎の悲劇をもたらした「恐ろしい近代化」を分けるべきだという。「偉大な科学者は資本主義は拒否したが、近代化は求めた」と言う。

●震災後の日本では、行政機能がまひする中で住民の自発的な結合が多数生まれた。市民がもっと力を持つには何が必要か。

 「市民のネットワークは反グローバル運動など世界で起きている。自治だけでなく共同体を形成するという感情が大事だ。政府に介入されない独自の通信ネットワークを持つとともに、財産権など個人の権利を超越する必要がある」
 「歴史の前進にリスクはつきものだが、民主的かつ自由、共同体的方法で乗り越えるべきだ。その責任は、国家でも政治家でも技術信奉者でもなく、われわれ自身にある」(文 杉田弘毅、写真も)=2011年09月24日

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イタリア・ベネチアの自宅で、イタンビューで答えるアントニオ・ネグリ氏

アントニオ・ネグリ氏略歴

 ANTONIO・NEGRI 33年、イタリア・パドゥア生まれ。パドゥア大教授に就任しスピノザ、マルクス、フーコーの研究をし労働者自立運動を提唱。70年代にイタリアに吹き荒れたテロに関わったとされ、逮捕・起訴される。収監後03年に釈放され、今はイタリアとフランスを往来し研究を続ける。08年に訪日を予定したが、収監歴が障害となり、実現しなかった。主な著書や共著に「構成的権力」「帝国」「マルチチュード」

帝国

 もともと皇帝が元首である国家を呼ぶ。国際政治では強大で他国を合わせ拡大した国家を指す。小国の存立を犠牲にしても、自国の領土・権益の拡張を目指す侵略的傾向を帝国主義と呼ぶ。冷戦終結後は米国が唯一の超大国として「帝国」と呼ばれだした。一方、米国は露骨な領土獲得をせず、同盟関係や貿易、資本力、文化力で影響力を行使することから、旧来の帝国とは異なる面も持つ。ネグリ氏の著作「帝国」は、米国を意識しながらも、グローバル化した世界では国家を越えた帝国と呼ぶべき主権が出現した、と述べている。