第5回1世の苦難、抵抗の清新 今、旋律に思いさまざま

アリランについて語る沢知恵さん=2010年7月12日

 民謡「アリラン」 朝鮮半島を代表する民謡。高麗時代末に江原道(カンウォンド)旌善(チョンソン)で歌われたのが発端とされ、各地で固有の調べや歌詞が生まれた。羅雲奎(ナ・ウンギュ)の映画「アリラン」で主題歌として使われたものが今日、最も一般的で、他のアリランと区分するために「本調アリラン」と呼ばれることがある。ほかに有名なものとして「密陽(ミリャン)アリラン」や「珍島(チンド)アリラン」など。

 映画やテレビドラマで冷徹な悪役を演じ、際立った存在感を放つ在日韓国人2世の俳優・歌手白竜(はくりゅう)(57)=本名田貞一(チョン・ジョンイル)=にとって、アリランのイメージは父貞祚(ジョンジョ)に重なる。

 植民地時代、10代半ばで故郷の大邱(テグ)を離れて樺太(現サハリン)に渡り、炭鉱で働いた。そして解放。戦後の混乱期、福岡の闇市での商売で元手をつくり、佐賀で解体業を興した。1998年、72歳で亡くなった父。

 忘れられない光景がある。少年時代、自宅改装のお祝いの席で貞祚が周囲に促され、アリランを披露した。仕事一辺倒の父が歌う姿を目にしたことはなく「アボジ(父)が歌ったことにまず驚き」、もの悲しい歌いぶりが心に残った。

 白竜は79年に「アリランの唄」でレコードデビューした。「おれたちのアリランは 悲しみの鎖を断ち切って 前へ前へと 進む希望のうた」(歌詞より)。民謡の歌詞も織り込み、父ら在日1世の苦難の歴史、それを乗り越えていく前向きな意志の力を刻み付けた。

 それから30年余。「韓流」は完全に日本社会に溶け込み、1世がさまざまな思いを抱えて越えた玄界灘を今、多くの人が気軽に往来する。「信じられないぐらい近くなったよね」。時代の変化を感じながら、原点のデビュー曲を今も大事に歌い続

ける。

日本人の父と韓国人の母を持つ歌手沢知恵(さわ・ともえ)(39)のアリラン観は少し異なる。植民地朝鮮で愛唱歌となったアリランには同名の映画と同様、日本の支配に対する抵抗の精神が秘められている。そんな思いがある。

 幼少時にソウルで暮らし、アリランは「生活の一部」だった。ちょっとした集まりがあれば、みんなで即興も交え、シンプルなメロディーに乗せて歌い継いだ。米国で暮らしていた時もコリアタウンでよく耳にした。

それほど身近だった歌も、自分のコンサートで積極的に取り上げたことはあまりない。日本でもよく知られ、歌えばみんなで歌って盛り上がることができる、と分かっているのに「心地よい、ただの楽しい歌として受け取られたくない」という気持ちが

どこかにある。人々のうめき声を宿す、反骨の歌。それが沢にとってのアリランだ。

 北朝鮮の人々への思いを歌った「シング・ユア・フリーダム・ソング」(95年)で朝鮮半島の西南端部、珍島(チンド)に伝わるアリランの一節を挿入した。北朝鮮の人々が知らない南のアリランをあえて加えることで「北の人々に自由の歌を歌えと伝えたい」。そんな意図だった。

 「あっけらかんとしたアリランじゃなく、歌に込められた精神。私が継承したいのはそっち」。

 朝鮮半島はもちろん、日本でも歌い継がれ、語り継がれてきた「アリラン」。これからの100年、日本と朝鮮半島の新しい歴史の中で、今度はどんな物語を紡いでゆくのだろうか。(桜井幸彦、敬称略)=2010年08月29日