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【寄稿】ふくしまはいま、どんな状況なのか―若手世代が内側から見つめて  福島県いわき市民・伊藤江梨

2012/12/29/ 11:55

 原発事故の災禍を受けた福島県で、若者たちは地域の現状と将来についてどう考えているのか。共同通信記者を務め、今年5月からいわき市で会社員として勤務、地域の未来について考える市民活動にも参加している伊藤江梨さんに、内側から見つめた福島の情況について寄稿してもらった。(47行政ジャーナル・橋田欣典)
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 東日本大震災から1年9か月余り。震災や原発事故のことが全国ニュースで取り上げられる機会は目に見えて減る中、福島県外からは「福島の情報が入ってこない」という声が聞こえてくる。

 そんな福島の市民の声を届けようと、11月9~11日に福島市で「ふくしま会議2012」が開催された。震災後の昨年11月に第1回が開催され、今年で2回目。福島県立博物館館長で東北学を提唱した民俗学者の赤坂憲雄氏らが発起人となり、誰でも参加して発言できる「草の根の会議」を目指す。

 私は震災後の今春、6年間続けた報道の仕事を辞めて、10年ぶりに故郷の福島に戻った。あらためて福島県民となり、会社員として福島の「日常」の中で暮らしている。昨年に引き続き参加した今年の「ふくしま会議」は、日常の中で埋もれている「ふくしま」の姿を改めて見つめ直す機会となった。福島県民の一人として、会議や日々の生活を通して見た「福島の現状」の一端を伝えたい。

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「ふくしま会議2012」の2日目の全体会=11月10日、福島大学

福島を語るという傲慢

 福島を語ろうとすると、福島に根付いて人々の声を聞けば聞くほど「自分は福島の何を知っているというのか」という問いに直面する。地域によっても、年齢や立場、置かれている境遇やもののとらえ方によっても大きく状況が異なる今の福島県を、一人で語り尽くすことはできず、一元的に福島を語ろうとすればするほど、対立が起こっている。ふくしま会議に来て、そのことをあらためて認識した。

 例えば、地域。私の暮らすいわき市は、県内では比較的空間放射線量が低いが、東京から近い沿岸部であるため、県外から多くの人が「被災地視察」にやってくる。いわき市北部の久ノ浜地区などは、大きな津波被害で今も更地が広がっているが、それ以外の市民は日常の生活を営んでいる。日常に戻った人たちは、立ち並ぶ仮設住宅や警戒区域内に向かう作業員の姿を横目で見ながら、「我々は被災者ではない。もっと苦しんでいる人がいる」と被災者としての当事者性に疑問を抱きつつ、被災者として見られることに違和感を持っていたりする。

 放射線量が県内では比較的高い内陸部の郡山市でも、人々は日常の暮らしを営んでいる。放射線は目に見えるものではないし、それほど影響を不安視していない人もいる。不安視していても日頃は不安だと言い出せずにいる人もいるが、日常の中で風化もする。公園に設置された線量表示板を見て「あの数値はきっと実態よりも低いに違いない」と暗い気持ちになっている人も、ゼネコンが入って本格的にスタートしようとしている除染作業を見ながら効果に疑問を抱いている人もいる。

 茨城県や千葉県と放射線量がさほど変わらない会津地域は、大きな被災も生活への影響もないが「福島」という名前だけがついてまわる。震災以後は、影響の大きかった他地域を支える役割を担ったが、沿岸部とは気候も産業も暮らしぶりも全く異なり、沿岸部からの避難者の「ここではとても暮らせない」という言葉に傷ついたりしている。

 昨年のふくしま会議のテーマは「分断と対立」だった。広く多様な土地が「福島」としてまとめられ、認識や考え方の違いで多くの分断と対立を生んでいた状況が浮き彫りになった。今年のテーマは「子どもたちの未来のために」。昨年の混沌の中の叫びとは違い、今年は未来に向けて少しでも前向きに進んでいこうと、大人から子供まで多くの人が集まり、声を上げた。

 一方で、警戒区域の避難者からの声があがることはなかった。着の身着のままで、行方不明の身内や家財道具一切合財を置いたまま避難し、いまも家から何十キロも離れた土地で暮らし、これから帰るめども全く立たずにいる避難者。まだ1年8か月。その間には原発城下町として、又は、賠償金受給者として、バッシングもたくさんあった。もしかしたら、整理のつかない混乱と喪失感とがまだ続いているのかもしれないが、それが語られることはまだ少ない。今も声を出せない人の声をまだ私は拾い切れていない。

 更地のまま残る津波のあとを見たとしても、人の手の行き届かない警戒区域内を見たとしても、自分に何が分かるというのか。そこに暮らす人の想いを語ることなどできるのか。そこに起こった事象を正確にとらえることができているのだろうか。誰かを傷つけてはいないだろうか。対立と分断の中でそう気づいた賢明な県民は安易に福島を語ることをしなくなり、本当の渦中にはない声の大きな者ばかりが雄弁に語る。私自身もその例外ではない。

踏み荒らされるふくしま、排他的になるふくしま


 震災以降、いまだかつてないほど、たくさんの県外の人が福島県に関わりを持とうとしている。原発収束作業のために、遠く九州や沖縄からも作業員が来ている。警戒区域に接する地域では、「どこそこの誰々」といえば、大抵知り合いだったような小さなまちで、まだ元々の住民は何割かしか戻らない中、仕事を求めてやって来た見知らぬ土地の人が大勢行き来する。除染作業を受注した大手ゼネコンも大挙し、安い宿泊施設を占拠する。復興の建設ラッシュも福島参入に拍車をかける。多くない飲食店にも人が押し寄せる。

 仕事を求める人だけではない。NPOやボランティアは、ときに「福島のために何かしたい」と目を輝かせて、至る所で活動している。ドキュメンタリストや写真家、ジャーナリストは悲劇の地・福島の現状を撮りたがり、アーティストも降ってわいた非日常の福島をテーマにインスピレーションを沸かせる。反原発・脱原発を唱える団体は、福島からの「抗議と悲しみの声」を求めて福島県民に近づく。避難所には賠償金目当ての押し売り。放射性物質から身を守れるとうたう怪しげな薬。たくさん投下された補助金の奪い合い。 

 「福島バブル」が起こっている。急激な変化になれない田舎まちに、急激に起こる変化。日常に戻りつつある地元の人々の間に、「非日常」を求めて集まった人々が入り込んで、時にかき乱す。悪意も善意も入り乱れ、むしろ100%の善意の押しつけこそが対話を難しくし、人を疲弊させ、絶望させる。

 非日常を求める人々に日常をかき回された福島県民は、排外的になりつつあるように見える。

 地元に戻ってきてすぐに、県外のNPOやボランティアを悪しざまに言う声を聞いた。「あまりいい人ばかりではない」。津波被害の大きかった地域でボランティア団体と地元の自治会が一緒に開催したイベントでは、ボランティアの人が「地元の人は本当にうるさくて嫌になる」とうんざりしていた。

 9月に福島県いわき市で強盗・婦女暴行事件が発生した際、「いわきではこんな事件はなかった。治安が悪くなった」「県外から来た人がやったのではないか」という噂話を聞いた。約1か月後に逮捕された容疑者は、神奈川県から東京電力広野火力発電所の作業に来ていた。「やっぱり県外の人だった」という怒りの声を聞いた。

 県外の人だけではない。人口約34万人だったいわき市には、原発周辺自治体などから2~3万人が流入したといわれる。1割近い人口の変動があれば対立も起こる。賠償金額の違いによるひがみから、ちょっとした変化や習慣の違いが、仮設住宅と近隣住民の間に隔たりを生む。


変わらないふくしま、変わらない市民

 福島県に暮らす20~40代の有志が集まった「ふくしま会議青年部会」で議論した際、若者たちに共通していた認識は「福島には未だに多くの問題が残っているが、どれも震災が起こったから生じた問題ではない。元々あった問題が震災を機に一気に噴出しているだけだ」ということだった。3・11以前、以後で時代を区切って、「大きな変化があった」と語る論者も多い中で、福島の若手の見ている世界は変わっていなかった。

 放射線量が高く、計画的避難区域に指定された飯館村では、村長が掲げる帰村や除染の方針について意見の違いが解消されないままにあるが、10月の村長選では現職の村長が無投票で再選。村民が避難する葛尾村長選も現職が74歳で7選目を果たした。衆院選では、投票率が過去最低を更新。自民党元職候補者が返り咲き、また従来通りの地元利益誘導や政治闘争が繰り返されるだろうと冷めた目線を送る市民は多い。

 放射性物質対策が国から指示されるままに実施され、実態とかい離して有効に機能していなくても、現場の自治体職員は必死になって実績作りに奔走する。住民説明会では、権限のない行政職員が分かりにくい文書をただ読み上げ、形ばかりの質疑応答で終わる。

 産業はいままでと同じように東京の言うとおりに無個性な商品を大量生産し、安い価格で東京に供給する。経営が苦しくても有効な打開策も講じられず、賠償金頼みで息をつなぐ中小企業。もしくはバブルに乗っかる企業。被災した沿岸部では、誘致された大型ショッピングセンターを中核に据えた再開発計画が進もうとしている。

 それでも住民は、ただ国や行政の無策を嘆き、誰のせいでこんなことになったのかと憤り、誰も何もしてくれない、誰か素晴らしい人が出てきて福島をなんとかしてくれないかと現れないヒーローの出現をただ待っている。


歩き始めるふくしま

 何も変わらず、未来への希望の光が見えない中で、それでもようやく、一部の市民がヒーローが現れないことに気づき、歩みを始めている。

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郡山の農家団体「あおむしくらぶ」が開発した新しいブランド野菜「おんでんかぼちゃ」を収穫する藤田浩志さん(右)=8月
 郡山の農家でつくる団体「あおむしくらぶ」は福島県産の農産物が敬遠される状況の中、郡山の新しいブランド野菜づくりを積極的に進めている。一般の人参よりも甘く真っ赤に色づく「御前人参」、一本の苗に一つだけ実をつけさせ丁寧に育てた「おんでんかぼちゃ」など、質にこだわった新しい野菜を熱心に作り続けている。放射性物質の検査結果の公表はもちろん、野菜の糖度も測定し「美味しさ」も公表している。くらぶに所属する8代目の米農家を営む藤田浩志さんは、「福島の農家にとって、放射性物質の検査はもう当然の作業として営農の一部に組み込まれている。人に汚されたものを片付けするだけでは疲れてしまうし、復旧にしかならない。どうせやるなら復旧ではなくて付加価値をつけた復興をしたい」と話す。

 農家を続けるだけで「人殺し」と罵られたこともあったという。放射性物質が検出されなくても福島県産というだけで忌避する人は今もいるが、一方で応援してくれている人もいる。「農家にできることは食卓を幸せに感じてもらえるものを作ること。真摯に情報を提供すること。以前と何も変わらない」。誠実によりよいものを生み出し続け、誠実に情報を提供することで、未来を作っている。

 いわき市の小名浜地域では、小松理虔(りけん)さんらが自らの生まれ育った地域を見つめ直し、自らの手で「デザイン」しようとしている。臨海工業地域である小名浜の工場群を見つめ直し、「工場夜景ツアー」を開催。地元民だからこそ知る穴場夜景スポットを廻り、鈍い光を放ちながら夜も稼働する工場を眺めて、地元の産業と風景を知る。それらの工場の多くが、首都圏に本社のある会社の工場である構造は原発と変わらないが、それでもその中から地域自身が独自に生み出すものを作っていこうとしている。

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小名浜臨海工業団地東緑地の展望台から小名浜の石油タンクの夜景を撮影するツアー参加者=2012年夏、いわき市
 小松さんらが小名浜の街なかに設けたオルタナティブスペース「UDOK.」には、地元の若手が日中の仕事終了後に集まり、アートの制作などそれぞれの「課外活動」に取り組み、自分たちの暮らしや地域を彩っている。ある人は取り壊されるビルに線を描き、ある人は震災時の新聞記事をコラージュする。地元のアーティストや写真家が作品を展示し、時には集まって特産のかまぼこや地元で水揚げされたサンマを楽しむ。そんな様子を、通りすがりの地元の子どもたちが物珍しげに覗いていく。自分たちが目指す地域とライフスタイルを作り始めている。

 苦境にある飯館でも、いまだ続く対立の溝を埋めるべく、若手を中心に意見の異なる村民も交えた「対話」が続けられている。時には怒鳴りあいになったりしても、村民一人一人の想いに耳を傾けることから、地域の現状や政策、歴史を知り、自ら関わりともに歩める未来の道を探している。

  会津では、再生可能エネルギーなどを中心としたエネルギーの地産地消を目指し、地元の企業人などが中心となって「会津電力株式会社」を設立する構想が現実味を帯びてきている。豊かな水資源を持ち、東京電力の水力発電所も多く設けられている会津地域。自らのエネルギーを自らの手で作り自らの地域で賄おうと、まずは小水力発電所の建設を計画している。発電所設置を模索する母体の一つとなっているのは地元市民らでつくる「会津みしま自然エネルギー研究会」だ。エネルギーの素人だった普通の市民が、エネルギーについて学び、地元でのエネルギー創出の可能性を探ってきた。一つの小水力発電所の発電力はわずかでも、地域の誇りと自立を取り戻すという希望をのせている。

 だがこれらの動きは、後ろ盾も大きな力もない一人一人の小さな希望の種でしかない。ふくしまはまだ変わっていない。でも変わりたいと思って、もがいている。誰かよそから来るヒーローに変えてもらうのではなく、自分たちの手で。その一歩はまだ始まったばかりだ。

 県外の人に会うと「福島県民は私たちに何をしてほしいのか言ってほしい!」と迫られることがある。私の答えは「何をしてもらうのでもなく、自分たちの手でやる」ということだ。県外には福島の問題をあっという間に解決するスキルを持った人たちがたくさんいるのかもしれないが、それは必ずしも良い結果を生んでいるとは思わないし、長い目で見て福島にとって良いことだとは思わない。遅くても、なかなか変わらなくても、自分たち自身の手で。それが、即効性のある発展を求めて作られた原発によって傷ついた福島の、希望の種だと思う。



icon.jpg 伊藤江梨(いとう・えり)

1984年1月生まれ、福島県郡山市出身
2002年3月  福島県立安積黎明高校卒業
2006年3月   大阪大学法学部卒業
          4月  一般社団法人 共同通信社 入社
           横浜支局、松山支局、大阪経済部
2012年4月    同社 退職     
            5月~ 福島県いわき市にて 会社員として勤務                                         

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